2回目の滞在許可証更新①

つい1週間ほど前まで連日35度以上の猛暑が続いていたパリは、ある日を境に急に涼しくなり、今は25度前後に落ち着いている。朝方は涼しくて、布団をかけないと風邪を引きそうなぐらい。感覚的にはすでに秋。今年はずっと気温が高くだいぶ夏を満喫できたけれど、せめて8月いっぱいは30度の暑さが残ってくれないかな。それにしてもこちらでは日傘が使えないせいもあって、腕も脚もそれぞれ3段階ぐらいの日焼けカラーになってしまった。真夏でも青白く、たまに会う両親にいつも気味悪がられていた会社員時代と比べると健康的だけど、アラフォー日本女性としてはあり得ない大失敗。
 

リュクサンブール公園
リュクサンブール公園の夏の一コマ

 
さて、3月にやっと受け取ったばかりなのに、もう来てしまった。滞在許可証の更新時期。今持っているものは9月3日までだから、まもなく期限が切れる。ただ、もう手は打ってある。

今住んでいる郊外の役所でもやっとネットで予約ができるようになったので、朝早くから何時間も待たずに済むようにはなったものの、甘かった。パリだとこの予約日に更新に必要な書類を提出するのだけど、郊外はひと手間多い。予約日=必要書類の提出日を予約するための日なのだ。最初これを分かっていなくて、書類を確実にそろえるために、予約日(書類提出日と勘違いしていた日)は許可証の期限切れギリギリの8月でいいやと思っていた。途中で気づき、あわてて予約の手配をしたものの、すでにその予約日が7月の終わり。先月の夏期講習は休みたくなかったので終わってからにしたのだけど、6月ならいつでも行けたのに!これではまた書類の提出日がいつになるか分からない。去年はいろいろあって8月に役所に行き、書類提出日は今年の1月だったから、今回は7月に行って今年中に提出できるかどうか。期限切れの4、5カ月前には予約しろと書いてある意味がよく分かった。

というわけで7月の終わり、そんなに久々という気もしない役所へ、もう何度も通った道を歩いて行った。さすがに予約なしの人用の列は短くなったみたいだけど、相変わらず中は人混みで、呼ばれたのは予約時間からぴったり1時間後の11時40分。この日のためにもいくつか書類が必要と書かれてあったものの実際にはいらず、書類提出日の予約を取ってもらって3分で終了。今年中だったらいいなあと淡い期待を抱いていたけれど、なんと8月31日!早い!ということは、この日に滞在許可証の代わりとなるレセピセももらえるのだ。よかった、このレセピセのためだけにまた行かなければいけないことも覚悟していたから、これなら上出来。
 

罫線

 
思いのほか早い時期の予約になって書類集めに奔走しなければいけなくなったものの、順調にいってひと安心。ところが、またもや問題が発生した。というより、どちらかというとポジティブで、実は8月に入ってすぐにパリに新しい部屋が見つかったのだ。これについてはまた詳しく書く予定なのだけど、ということはパリで滞在許可証の更新手続きをしなくてはいけない。

そもそも、パリに引っ越したいと思っていたのは、この滞在許可証の更新が大きな理由だった。私が持っているのは学生用の許可証なのだけど、一般に1週間の登録授業時間数は、パリの場合最低15時間、郊外は18~20時間が必要と言われている。1年目のパリカト(パリ・カトリック学院)では週18時間取っていたけれど、この1年は少人数制の学校に週15時間しか通っていない。滞在許可証更新の際には過去1年分の成績表と出席証明書、次の学校の登録証を提出する必要があり、どれだけ勉強したかとどれだけ勉強するかの両方をチェックされる。少人数制の学校の登録はとりあえず最初は20時間にしておいたから、去年の更新の際に出した登録証には問題なかった。でも、実際に通ったのは登録証とは異なる15時間なので、これがどう評価されるか。ただ、修了証には15時間とは記載されておらず、通った期間の合計時間だけが書かれているのだけど。

さらには、次の学校の登録証も不安。今のところ、パリ・ナンテール大学とソルボンヌ・ヌーヴェル大学の語学学校が候補になっていて、週20時間のパリ・ナンテールからはすでに入学許可が出ているものの、まだ登録証をもらっていない。本当は7月に手続き期間があり、そこで学費を払っていればもらえていたのだけど、9月にテストがあるソルボンヌ・ヌーヴェルが合格ならそちらに通いたいので、パリ・ナンテールに確認した上で、ソルボンヌ・ヌーヴェルがだめだったらナンテールの入学手続きをすることにしたのだ。ソルボンヌ・ヌーヴェルの仮登録証はあるのだけど、16時間+自習4時間で合計週20時間となっている。歴史のある大学だとはいえ、この時間数で通るのかどうか・・・。

この悩ましい問題を解決するには、パリに引っ越してパリで滞在許可証の更新手続きをすれば大丈夫と思っていたのだけど、結局いいタイミングで部屋が見つからず、むしろやっかいなときに決まってしまった。早速、パリで手続きできないか試してみる。

まずは、パリ全土の滞在許可証更新手続きを受け付けている警察署のホームページを探し、予約にトライ。ところが、何度やっても受け付けできませんとの画面が出るのみ。どうやらもう残り1カ月を切っているので、ネットではできないよう。画面には電話番号が出ているけれど、電話ではらちがあかないのがフランスの常識。そこで、直接警察署に行ってみることに。
 

4区警察署

 
観光客の多いノートル・ダム大聖堂近くのシテ島に立つ4区の警察署。中には荷物検査のみですんなり入れたものの、5人ほどが並ぶ受け付けで聞いてみると1枚の紙を渡され「じゃあここに電話してね」。これってネットに出ていた番号と同じ・・・。仕方がないので翌日、早速かけてみたけれど、思った通り一向につながらない。何度かけても同じなのでまたしても警察署に行き、前日とは別の人に「ネットも電話もどっちもダメ!」と訴えたところ、じゃあここに行ってみてとまた紙を渡された。見るとそこは14区の警察署で、学生用の窓口があるらしい。どうもこの4区では、奥に入れるのは予約者のみになっていて、何度行っても手続きなどはしてくれないよう。要領は悪くても、郊外の役所は行けば一応対応してくれるから、そこはだいぶ違う。都会は冷たい。

めぐりめぐって14区の大学都市シテ・ユニヴェルシテールへ。ここは今住んでいるところからも近く、なじみのある場所。それこそ大学のような広い敷地内に勝手に入ることができ、少し進むとあった、警察署。この日はもう閉まっていたのだけど、ドアの前に貼り紙が。「予約がある者以外受け付けません」。しかも、列を整理するためのロープもあるし、結局ここに入るためにも予約するか、朝早く行って並ばなければいけないのか。でもよく見ると、対象は1回目の滞在許可証更新のみって書いてあるし、そこまでして入っても受け付けてもらえないかもしれない。
 

14区警察署

 
なんかもう、いろいろ考えると面倒になって、結局いったん郊外で申請し、無事に更新できた時点で住所変更の手続きをすることにした。どちらにしろ時間と手間がかかるのは同じだし、パリで今予約できたとしても書類を提出できるのは1月ごろ。パリ在住者のブログなどによるとレセピセはもらえなさそうだから、4カ月も公式な滞在許可書類がないまま過ごすことになる。実際には特に支障はないとはいえ、さすがにちょっと落ち着かない。郊外で更新が許可されるかどうかは不安だけど、万が一却下されるとしても今年いっぱいはいられるだろうし、まあダメだったらそのとき考えよう。そんなわけで今は、31日の予約日と引っ越しに向けて諸々準備中。

 
2回目の滞在許可証更新②はこちら

 

必要書類リスト
更新に必要な書類は去年と同じ

 

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パリ20区歩き ―13区―

13区位置

 
今住んでいるところからすぐに行ける距離にありながら、感覚的には遠い13区。以前はお気に入りの映画館によく通っていたのだけど、とはいえその周辺しか知らない。ここは何といっても、パリ随一の中華街があることで有名。見慣れた景色とはまた違う、アジアが薫るパリを探しに、奥まで入ってみよう。

まずは5区との境にある国鉄オーステルリッツ駅からスタート。時期的なものもあるのかもしれないけれど、10区の北駅や東駅に比べると人が少なく、のんびりとした印象。パリの駅は行き先によって分かれていて、このオーステルリッツ駅からはフランス中西部ロワール地方やスペインなどへ向かう列車が出ている。
 

オーステルリッツ駅外観

 
近くには同じオーステルリッツ駅という名前のメトロの地上駅もあり、ここからはすぐ下にある国鉄駅が見えてちょっと楽しい。
 

メトロから見たオーステルリッツ駅

 
セーヌ川沿いに南へ向かう。途中、上をメトロが通る橋を発見。地図を見るとどうやらベルシー橋。この構造、15区と16区をつなぐビル・アケム橋に似ている。さすがにこちらの方が地味だけど、近くで見ると重厚感があって、これはこれで趣きがある。
 

 
この辺りに浮かぶ川船の中には、カフェやライブ会場になっているものがあるらしいのだけど、どれがそうなのかは分からない。観光クルーズ船はここまでは来ていないようで、西側に比べると落ち着いた雰囲気。
 

セーヌ川沿いの景色

 
川沿いを半分ぐらいまで来ると、フランス国立図書館、別名フランソワ・ミッテラン図書館がある。その名の通り元大統領であるミッテラン氏が手掛けたもので、ガラス張りの巨大な高層ビルが並ぶモダンなデザインが印象的。なんと、活版印刷が始まった15世紀からこれまでにフランス国内で出版されたすべての本が保存されているとのこと。価値のある膨大な資料の保管庫といえる。16歳以上なら誰でも利用可能らしいのだけど、有料なのと場所がちょっと不便なことから、個人的にはあまり使い勝手がよくない。
 

 
ここからは徐々に西側へ向かって街なかへ。実はこの辺りのセーヌ川沿いは新開発地区とのことだけど、川から離れていっても近代的なコンクリートのビルが多く、パリとは思えない雰囲気。建物が街をつくっていることがよく分かる。だから建築に興味があるのだ。
 

 
いよいよ中華街にやって来た。郊外に近い南寄りのポルト・ディヴリー駅から北のプラス・ディタリー駅に向かう周辺が、中華街と呼ばれるエリア。一歩足を踏み入れた途端、パリではなくなる。どこを歩いても人がいっぱいで、それもアジア人が多数派。ごちゃごちゃとして騒がしい雰囲気は、まさにアジアを感じさせる。原色のコートを着て道の真ん中で大声でしゃべるおばちゃんたちの姿も、イメージ通りの中国人そのものだし。
 

中華街2

 
普通に歩いているだけで、スーパーや飲食店はもちろん、服、雑貨、さらには中国系の銀行や旅行会社なんかもあって、生活に必要なものはすべてそろっている印象。ちょっとのぞいてみたけれど、お惣菜の値段もすごく安く、フランスのものよりはるかにおいしそうだった。下手にパリの日本食レストランに入るより、この辺りで食べた方が手ごろで味もいいかもしれない。
 

 
ベトナムなど他のアジアのお店もちらほら見かけたけど、やっぱりメインは中国。さすが、人口が多いだけのことはある。チャイナタウンって今やどこの国にもあるんじゃないだろうか。学校の先生たちも、この辺に来るとパリではないような気がすると言っていたけれど、大げさじゃなくここは中国人のための界隈と化している。映画『パリ・ジュテーム』にもこの中華街が出てくるらしいのだけど、残念ながらまったく覚えていない。

イタリー広場(プラス・ディタリー)まで歩いてひと安心。パリに戻ってきた。ここは映画館めぐり⑤のシネマ・ゴーモン・レ・フォヴェットに行くためにいつも通っていた場所だから、個人的にもなじみがある。2年目からは映画のカードをUGCのものに替えたので、UGC系ではないこの映画館には行かなくなってしまったのだけど。
 

イタリー広場

 
ただ、いつも通っていた場所なのに見逃していたところがあった。映画会社パテの財団が所有するというこちらの建物。カメラなどが展示される博物館やミニシアターなどがあるらしく、興味深い。ここもいずれ入っておかなければ。
 

 
最後に、イタリー広場周辺を散策。南西へ広がるビュット・オー・カイユ地区は、すごくいい雰囲気。狭い通りに地元の人から愛されていそうなレストランやカフェなどが並び、ぶらぶら歩いているだけで楽しい。こういうこぢんまりしたかわいらしい街並みは、やっぱりヨーロッパのもの。日本でこういう場所があったとしても、たいてい周りの建物が全部新しく無理矢理つくった感があるけれど、古くからずっと続いていて時間の重なりを感じさせるからこそいいのだ。
 

 
情緒ある道に誘われて歩くうちに、気づけば14区との境目へ。向こうに見えるあの建物は、大学都市シテ・ユニヴェルシテール駅の近くにあったはず。知っている場所に帰ってくるとほっとするとともに、頭の中で地図がつながっていくのがうれしい。
 

シテ・ユニヴェルシテール

 
観光客のいないのんびりとしたセーヌ川沿いや、日本でも見かけるようなモダンな建物、アジアへ迷い込んだような中華街に、モンマルトルを思わせる趣きある街並みと、いろいろな表情が混じり合った13区。どれも普段見ているパリとは違うもので、まだまだ知らないところがあるなと実感。住む場所としても悪くはないのだけど、やっぱりチャイナタウンは避けたいかな。

 

細い階段
パリであってパリらしくない景色

 

その他の区はこちら。
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7月の思い出

始まったと思ったら、あっという間に終わってしまった。パリカト(パリ・カトリック学院)での夏期講習はすごく充実していたけれど、やっぱり1カ月というのは速い。前の学校をしばらく前に辞めて勉強から離れていたこともあり、かなりモチベーションも高かったし、何より天気がいいから気分もいい。朝起きるのもつらくないし、やっぱり学校があると生活のリズムができて、毎日時間を無駄にすることなく過ごすことができた。お金があれば8月の講習も受けたかったのだけど、2カ月となるとしんどいだろうし、9月からまた長期の学期が続くことを考えれば、まあ物足りないぐらいがちょうどいいのかも。校舎内の廊下から見えるこんな景色ともお別れだ。
 

廊下から見える景色

 
終わってみると、このクラスは楽しかった。前に通っていた少人数制の学校とは違い、生徒は大学生中心だからフレッシュだし、みんな感じがよくて居心地もすごくよかった。先生も、最初は普通だなと思っていたけれど、結果的には当たり。パリカトとはいえ、夏期講習には別の学校の先生や新米の若い先生が応援で来たりしているから、運が悪ければ残念な先生になったりするのだけど、ちゃんとこの学校でよく見かける先生だったし、人柄も信頼できた。パリカトに戻ってきてあらためて分かったけれど、先生の質は私立の小さな学校と比べものにならない。だからこそ評判も高いのだろうし、結局いい先生が少ないことが前の学校を予定より早く終了する原因にもなってしまったから、やっぱり名前の通った学校というのはそれだけの理由がある。

でも、講習が始まったときにも感じたように、話すことに関しては去年に比べるとだいぶ自信を持てるようになった。最後の方は悩みながら通っていた少人数制の学校でも、ちゃんと身についたことはあったんだなと実感。今回の講習では、日本人の女性が1人同じクラスにいたのだけど、彼女は私に輪をかけて話すのが苦手なようで、自分からはもちろん、当てられても発言するのが本当にしんどそうだった。言葉を探すのに時間がかかる症状は私も含めて多くの日本人に当てはまるものだから、見ていてこちらもつらかったのだけど、ここで同情していてはいけない。どの学校でも授業では、いろいろなテーマについて「みんなの国ではどう?」と聞かれる。こういうとき、日本人が複数いると自分の発言のチャンスが減ることになり、私もこれまではずっと“負け組”だったけれど、今回はクラスメートの彼女に遠慮せずにしゃべるようにした。前に進むためには、日本にいるときのように気を使っていてはダメなのだ。
 

罫線1

 
今回も1人ずつプレゼンをしたのだけど、なかなか興味深い話題があった。アメリカ人の男の子が「外国語を勉強すること」について発表し、その中で「ヨーロッパの言語を母語とする人にとって、フランス語を学ぶのはアジア人より簡単」と言っていたのだ。これって私自身、こっちに来ていろいろな国籍の生徒たちと勉強する中で強く感じていたことだし、客観的に見て当たり前のことなのだけど、やっぱりアメリカ人やヨーロッパ人もそれを自覚しているんだなと分かったのは大きな発見だった。その前にも、個人的にブラジル人(母語はポルトガル語)の女の子と話していて「私たちの方がフランス語を学ぶのは簡単なのに、すごいね」と言われたことがあって、当人たちから直接そんな発言を聞いたことはなかったからちょっと驚いたのだ。

彼のプレゼンの後、先生が「今まで私が教えてきた中で、一番フランス語の習得が難しそうだなと感じるのはどこの国の人だと思う?」という質問をし、みんな「韓国人」とか「中国人」とか「中東の人」と答えていたのだけど、正解は「ベトナム人」。そう、ベトナムの生徒とは去年パリカトに通っていたときに何人か一緒だったのだけど、外国人のフランス語が特に聞き取れない私が今までに聞いた中でも、一番分かりにくい発音なのだ。少人数制の学校にはベトナムの生徒なんていないから、ここで出会った日本人はみんな「英語なまりのフランス語が聞き取れない」と言っていたけれど、ベトナム人の発音に比べればどれだけ分かりやすいか!先生によると以前、読み書きはそれこそC1やC2ぐらいの高いレベルなのに、話している内容はまったく理解できないベトナムの生徒がいたそう。実は、今回のクラスにもベトナム人の女の子がいて、先生は「あなたのことじゃないわよ」と言っていたけれど、私にとってはその子のフランス語も十分聞き取りにくく、申し訳ないけれど何をしゃべっているのかほぼ理解することができなかった。

確かに、ベトナム人の発音ってみんな同じなのだ。リズムがフランス語とはぜんぜん違うらしく、一つの単語を発音するだけでもすごく大変そうに見える。この話は以前にも書いたけれど、日本人は割とフランス語の発音が上手な人が多くて、もしかしたら日本人には英語よりも発音しやすいのかもしれないと思っている。私も発音に関してはいろいろな先生に褒められるし、自分でも悪くないとは思うのだけど、発音の項目っていうのはどのテストにもないのが残念。フランス語の発音は英語より重要で、微妙な違いが大きな意味の違いになったりするから、きちんとできていないと実際のコミュニケーションに支障があると思うのに、テストしないのはなんでなんだろうか。この項目があれば、もう少し点数アップを狙えるのに。

でも面白かったのは、「Comment allez-vous?」というフレーズを自分の国の言葉で何と言うか、一人ひとりが順番に発表していったときに、日本語の「元気?」という発音が一番簡単だったこと。ベトナムやインド、中国の生徒が言ったことを繰り返すのは、3回ぐらい聞かないと不可能に近い。そう考えると、日本語を勉強する外国人にとって読み書きは難しいとしても、音は“やさしい”のかも。
 

罫線2

 
最後には大きなテストがあり、またこれも3時間いっぱい使ってようやく終わるぐらいのボリュームだったのだけど、初めて読解が簡単だと思えたのはうれしかった。きちんと読み取れていないところもあったし、完璧に理解できたわけじゃないとはいえ、これまではいつも、一度読んでもなんとなくぼんやりとしか分からなかったのに、今回は読みながらかなり具体的に状況をイメージできた。まあ問題文のレベル自体が低かったのかもしれないけれど。でも聞き取りは今までと同じく、3回音声を流してもらってもほぼ分からなかった。もうこれは仕方ない。

ところで、去年の講習で同じB2-1のクラスにいた韓国の女の子が、その後1年間、専門の勉強のためにこちらの大学に通ったにもかかわらず、今年もまた1つ上のB2-2で講習を受けていた。これを聞いて、語学というのはなかなか簡単に上達するものじゃないんだなとあらためて認識。実際にその子と少ししゃべったけれど、初歩的な文法も間違っていたし。

それにしても、20度にも達しなかった日が多かった去年の夏と違い、今年は本当に暑い。もちろん、日本に比べれば暑いなんてほどでもないけれど、それでもパリで37度を体験するとは思っていなかった。フランスには暖房は必ずあるけれど、冷房はないのが普通で、家も学校も常温。地下鉄やバスはむっとしていて不快そのもの。さすがに扇風機を買ったのだけど、まあ蒸し暑さに慣れている大阪人にはこの小さな卓上タイプで十分。
 

卓上扇風機

 
それでもフランス人は暑さに弱く、講習最終週の1日、先生がもう教室内にいるのは耐えられないというので、みんなで学校近くの小さな公園まで歩いて木陰で授業したのは楽しかった。こういうところが自由だなあ。
 

 
去年も7月は輝いていたけれど、今年もまぶしくきらめくような1カ月だった。合間に14日の革命記念日とまさかのワールドカップ優勝も挟み、テレビで見ていただけとはいえいつもとは違う雰囲気も楽しめたし、きっとこの先も強く印象に残っているであろう思い出の日々がまた増えたのはうれしい。
 

毎年、野外コンサートや花火などがある革命記念日
 

ワールドカップ決勝戦直後とフランス代表凱旋時の様子

 

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