話せるようになるには

1月に入ってもほぼ毎日雨が続いてうんざりしていたら、やっぱり記録的な降水量のようで、パリ近郊のあちこちで洪水発生。日本のニュースでもやっていたと思うけれど、セーヌ川も増水して、近くを通る電車が数週間運行停止する事態になっている。
 

セーヌ川水位

いずれも1月26~29日のニュース番組より

 
ぜんぜん青空を見ていないし、太陽に当たっていない。ただ気温は高めで、1月はずっと10度以上あったから、そんなに寒さを感じずにすんだ。晴れて寒いのと、雨で暖かいのとどちらがいいかと考えたら、寒がりにはやっぱり少しでも気温が高い方がましだから、まあしばらくは灰色の空ばかりでも我慢しなければ。それにしても、こちらは夏と冬の日没時間の差が大きく、冬至から約1カ月でもうだいぶ日が長くなった。最近は天気や気候で日本との違いを体感している。

さて、少人数制の学校に通い始めて早くも4カ月。にもかかわらず、フランス語での会話力が進歩した実感はまったくない。今年に入ってから若い先生に変わり、この人の授業もすごく楽しくて悪くないのだけど、やっぱり年末まで担当だった先生に比べると経験や工夫は少ない。相変わらず、すでに自分で何度もやった文法の授業もあるし、内容もほぼ型通りだし、何より間違って話しているのをあまり直してくれない。これは本当に、なんでなんだろうと思うのだ。

この学校はいつも南米を含む欧米の生徒が大多数なのだけど、年が明けて最初のクラスは特に、日本人がイメージする典型的なアメリカ人やヨーロッパ人、ブラジル人が一緒で、彼らのしゃべりのパワーに圧倒された。例によってみんな文法はあまり知らないものの、正しいかどうかなんて気にしていないし、ある程度しゃべれる人たちばかりだから、言葉に詰まって議論がストップするということがない。こういう展開になると、まだまだゆっくりとしかしゃべれない上に元々口数の少ない生徒は、もう黙っているしかなくなってしまう。

ただ前の先生だと、みんながしゃべった後に一人ずつ細かく間違いを訂正していったから、すごくペラペラ話しているように見える人でもそんなに適当なんだと、ある意味安心することができたし、ゆっくりでも正確に自信を持って話すことができた。でも、話したい人たちが好きなように好きなだけ話してしまう状況だと、議論が白熱する中でとにかく何か言わなければと焦ってしまい文法なんて考える余裕がなくなるし、そもそも控え目な人間には言葉以前のしんどさがある。そして、ペラペラとしゃべっている人たちにとっても、間違いに気づかないまま過ぎてしまうことは決していいとは思わないのだ。よく、文法なんて気にしなくていいからとにかくしゃべることが大事と言われるけれど、それも必要だと思う一方で、個人的にはそれでもやっぱり正しく話したいと思うから、いちいち全部指摘してほしい。前の先生は、間違いだらけでもフランス人には通じるけれど、それだと正直、聞いている方は疲れるから、きれいに話せるようにならなければという信念を持っていた。

そして言葉の問題とは別に、社会的な共通認識の違いも大きい。このときのクラスはみんなしゃべりが達者なのに加え、なぜかたまたま国連や政府の機関で働いている人が集まっていたので、毎日自然に政治や社会情勢についての話題になったのだけど、移民政策の議論になったときにはさすがについていくのが大変だった。もちろん、それなりの問題意識は持っているとはいえ、やっぱり日常的に移民が押し寄せている欧米に比べると切迫感も深刻度も大きく違うから、細かい政策の話になるとその内容さえ知らない、ということが多かった。フランスで欧米人が集まるのだからどうしても欧米寄りの話題になりがちで、こういうときには会話のレベルに加えて自分の知識不足にも引け目を感じるのだけど、逆に地震や北朝鮮の話題になったとき、日本人と欧米人が同じ認識の下で話せるかというと、それも難しいと思うのだ。そもそも、先生でさえ「安倍」という名前を知らないことも多い。言葉以前に、それぞれの生活している環境や考え方が大きく異なるという前提があるから、みんなが平等に話せる機会をつくるための話題選びも難しい。
 

罫線1

 
このクラスは2週間続いてしんどかったのだけど、次の週からはがらっとメンバーが変わり、雰囲気も一変。久々に日本人も私以外に2人いたし、他の生徒たちもたまたまみんなおとなしく、だいぶリラックスできた。日本人はやっぱり大体同じで、自分に関することだったらけっこうすらすらしゃべれるし、当てられたらそれなりに話せるのだけど、議論になるとやっぱり自分からはなかなか積極的に発言できなくて、ほとんどしゃべらずに終わってしまったということになりがち。そういう姿を客観的に見るともったいないなと感じるのだけど、他の人には自分も同じように見えているのだから、私自身も残念な人なのだ。

ただこの点についても、前の先生は韓国で何年か教えた経験があり、アジア人が消極的なのは文化的な側面も大きいということを理解していたから、必ず全員が発言できるよう気を配ってくれていた。こういうやり方には賛否両論あるだろうけれど、典型的な日本人としてはやっぱり安心する。でもこの問題は突き詰めていくと、性格を変えなければいけないということになってくるので、そう簡単に解決できない。結局、今年に入って先生が変わってから、授業でも話す機会がぐんと減ってしまった。

それと未だに克服できないのは、単語や表現がなかなか出てこなくて、言葉を探している時間が多くなってしまうこと。この学校に来てから、これが積極的に発言できない原因の一つでもあるということに気づいたのだけど、やっぱり学校でしか話す機会がないとなかなか乗り越えるのは難しい。2、3人であれば気にせずしゃべれても、6、7人いる中で空白の時間ができてしまうことは無意識に恐いと思っていて、ますます消極的になるからますます話す機会も減るっていう悪循環。でも、自分よりたどたどしく話す人を見ていてイライラすることなんて絶対ないので誰も気にしていないし、そもそも他の生徒がどう思っているかや授業の進行なんて考えなくていいのだけど、これもやっぱり性格の問題になってくるから深刻。

ただ、ペラペラしゃべる欧米人も書くとひどくて、びっくりするぐらい基本的な間違いをしている人がたくさんいる。そして意外にも、彼らはしゃべるときは図々しいぐらい言いたいことを言いまくるのに、書くときは自信がなさそうで、グループワークなんかのときにみんなに見られるのを恥ずかしがっていたりする。やっぱり彼らも自分でできてないということを分かっているから、周りに知られたくないのだ。でもそれってまさに、日本人がうまくしゃべれないのを恥ずかしがって、口数が少なくなるのと同じ。残念なことに授業では、書けないことよりも話せないことの方が目立つので、どうしてもしゃべりが下手な人の方が不利なのだけど、書くことでは明らかに勝っているのだから、本当はもっと自信を持っていいのだ。
 

罫線2

 
相変わらずなかなか進歩が感じられない日々だけど、今週同じクラスだった通訳をしているドイツ人女性の言葉にちょっと安心。彼女はドイツ語以外に5カ国語を話すらしいのだけど、そんな彼女でもフランス語は難しくて思うように上達しないとのこと。たくさんの言語を操る人でも苦戦しているのだから、まあそんなに簡単に習得できないのは仕方ないと前向きにとらえつつ、なんとか少しでも前進できるよう努力しなければ・・・。

 

クリスマスツリー
1月中旬でもまだツリーが

 

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パリ20区歩き ―9区―

9区位置

 
右岸と呼ばれるセーヌ川の北側の地区には普段の生活でほとんど行くことがなく、未だによく知らないエリア。中心部から少し離れただけの9区もめったに足を踏み入れない地区で、未知の領域。パリを代表する建物の一つ、オペラ・ガルニエがあるのがこの9区なのだけど、これは南側の2区に近い場所にあるから、もっと奥にある世界を見てみたい。ということで、9区歩きは18区に近い北側からスタート。

通りを一本渡ればモンマルトルのサクレ・クール寺院に続いていくので、すぐ近くにその姿をとらえることができる。こぢんまりとしたパリでは、このサクレ・クールやエッフェル塔がけっこう遠くからでも見えて楽しい。

 サクレ・クール

 
18区の方を向いて立つのは、今年最初に見た映画の監督で、日本でもおなじみのフランソワ・トリュフォーが通ったというリセ(高校)、ジャック・ドゥクール。亡くなって30年以上経っても日本でときどき特集上映をやっているし、こちらに来てからも何本も見直したから、今では個人的にすごく思い入れのある監督になった。
 

 
ここは去年、パリカト(パリ・カトリック学院)の秋学期最終日の授業で見た『プチ・ニコラ』が撮影された学校でもあるそうで、なんとこの9区歩きをした日の夜、偶然にもテレビで放映していたからまた見てしまった。外側から見ただけでは中がこうなっていることは分からないのだけど、なかなか雰囲気があってよさそう。
 

 
この学校の近くにあるのがリノ・ヴァンチュラ広場。往年のフランス映画ファンなら彼のことはよく知っているだろうけど、こちらに来てフランスでも人気のある俳優だったのだということを知った。『冒険者たち』は見ていたけれど、パリの映画館でいろいろな作品に出会って、今では私も大好きな俳優の一人。トリュフォーと同じく、もうだいぶ前に亡くなっているのが残念。でもこうやって、フランス人に愛された彼の名前は街の一部として刻まれている。

 リノ・ヴァンチュラ広場

 
広場から南へ続くマルティール通りには、おしゃれなショップやカフェが並んでいて、歩いているだけで楽しい。坂道になっているところが、少しモンマルトルの雰囲気にも似ている。両側の景色に目と心を奪われながら、一気に下まで。
 

 
下りてくると、素敵なパッサージュを発見。入っているお店はまあ普通なのだけど、思わず通ってみたくなる誘惑には勝てない。風情あるノスタルジックな装飾が、パリの街並みによく合う。抜けるとまたパッサージュ、と思ったらもう2区だった。
 

 
ここから西へ向かうと、いよいよ華麗なオペラ・ガルニエが登場。去年、一度だけバレエを見にいったけれど、パリにいる間にまた入ってみたい。正面から建物に沿って歩いていくと、チケット売り場の入り口がある。
 

 
少し南側には、バレエ用品で有名なショップ、レペットも。正確には2区になる。通りに面したショーウィンドウにはたくさんのトゥ・シューズが飾られていて、よく見ると実際にこれらのシューズを使っていたオペラ座のエトワールたちのサインとメッセージが添えられているよう。これはバレエ好きなら思わずじっくり見入ってしまう素敵な趣向。私自身も愛用している一般のお出かけ用のバレエシューズやバッグもあるのだけど、雰囲気は日本のショップに比べると少し高級感があって、スニーカーだとなんとなく入りにくい。

 レペット

 
さて、このオペラ座のすぐ近くにあるのが、日本人観光客にも人気のデパート、ギャラリー・ラファイエット。ヨーロッパ最大級の広さだそうで、もちろんショッピングを楽しむのもいいけれど、豪華な内装も必見。どこかで見たようなこの景色・・・そう、まさにガルニエ宮のようなきらびやかさ。カフェでゆっくりラグジュアリー感を味わうのもあり。
 

 
おととし、パリカトの映画の課外授業で来たときは、大きなクリスマスツリーが飾ってあった。
 

 
そしてもう一つ、ここに来たら見逃せないのが、屋上からの景色。すぐ目の前にあるオペラ座、遠くからでも目立つエッフェル塔、そして隣の18区にあるモンマルトルと、パリらしい眺めが楽しめる。
 

 
ギャラリー・ラファイエットを出てさらに少し歩き、西端まで来ると、こちらも有名なデパート、プランタンが堂々とした姿を現す。ここにはまだ入ったことはないけれど、ショッピング好きなら外せないスポットなんだと思う。

 プランタン

 
華やかなエリアを離れて住宅街を歩いてみよう。明るくてなかなかいい雰囲気。庶民的すぎずハイクラスすぎず、毎日忙しく過ごしながらも人生を楽しんでいるパリの人たちの生き様が伝わってくるよう。パリのイメージにふさわしく、ちょっとすました感じはあるのだけど、活気があって洗練された7区ともまた違い、もっと素のパリに近いのかも。
 

 
中心部から少し離れた右岸、その場所だけでこれまであまり興味がなかった9区だけど、実際に歩いてみると意外になかなか楽しかった。素敵なお店が立ち並ぶ通りはそれだけでわくわくするし、デパートが近くにあるというのもポイント。ここで生活したら、パリにいる実感が毎日味わえそう。面積が広くなる2桁の区に比べると、こぢんまりしていて歩きやすいのも魅力。パリ市内に住むなら、9区も選択肢の一つになり得るかも。

 

女の子
小さなパリジェンヌに出会う

 

その他の区はこちら。
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滞在許可証の更新④

今年は日本も4日が仕事始めのところが多かったようで、短いお正月だったと思うけれど、フランスでは年末が休み、年明けは2日または3日から平日だから、もう街は元の日常。年末はもちろん家にいたのだけど、凱旋門でカウントダウンのプロジェクションマッピングアニメが始まって、なかなかよくできていたから思わずキャプチャ。ネットでテレビが見られるって、本当に便利。
 

 
さて、去年の6月から続いている滞在許可証更新の最後の手続きが、年明け早々にやっと終わった。だいぶ前のことなので、しつこいけれどこれまでの経緯のおさらい。

①滞在許可証の期限が切れる3カ月前の去年6月に必要書類を郵送。このとき、地域にいくつかある警察署のうち、間違えて管轄の違う署に送ってしまう。

②2カ月経っても何の音沙汰もなく、ホームページで確認して、どうやら送付先が違っていたらしいことに初めて気づく。この間に、提出方法が郵送から手渡しに変更。

③正しい管轄の警察署に行って、また最初からやり直し。提出日の予約をし、その後、新しい滞在許可証ができるまでの間をつなぐレセピセをもらう。

そして、その予約日がこの年明けすぐだったのだ。提出するためだけの予約。なんてゆっくり進むんだろうか。

1月の朝にしてはかなり暖かく、ダウンを着ていったけれど暑いぐらいだったので助かった。この警察署は9時の開庁前に列に並ばなければ入ることさえできないのだけど、今回は時間まで指定されている予約があるから大丈夫だろうと強気の判断をし、9時4分ほど前に到着。滞在許可証を更新する人が一番多いであろう夏に何度か来たときは、2時間前でもかなりの人が並んでいて、これが冬も同じなんだろうかと興味があったのだけど、同じだった。このときもまた、すごい人。一年中、毎朝この光景が繰り広げられているのだ。

 警察署入り口前の列

 
「呼び出し状あり」の列に並んでいた人たちはもう中に入ってしまっていたのだけど、入り口前に立っていた警察官に予約の日時が書かれた紙を見せると、簡単に入れてくれた。思った通り。これで、一番の難関をクリア。

滞在許可証の更新というのは本当にやっかいな手続きで、必要書類がとにかく多い。今回、事前にもらっていたリストを見ながらあらためて集め直した書類は以下の通り。

●パスポートの個人情報ページのコピー
●ビザ・滞在許可証・レセピセのコピー
●出生証明書
委任状を用意して日本の家族に戸籍抄本を入手・送付してもらい、それをパリの日本大使館で翻訳してもらう
●3か月分の家賃支払い証明書
●8月まで通っていたパリカト(パリ・カトリック学院)の出席証明書と成績表
●9月から通っている今の学校の登録証明書
●滞在に必要な経済力があることを示す証明書
こちらで口座を持っている銀行ケスデパーニュが、毎月ネットで残高が記載された利用明細を送ってくれるので、それを使用
●滞在期間をカバーする保険証明書
●証明写真3枚
●呼び出し状送付のための封筒。宛名欄に自分の名前と住所を記載し、切手を貼付

戸籍を取ってもらうのと、海外旅行保険を延長するのがなかなか面倒だった。常に先のことを考えていろいろ準備しないといけないので、早めに動くのが正解。これら全部オリジナルとコピーを両方持ってこいと書かれていたけれど、実際にはコピーを渡しただけ。ただ、この辺は担当者によって違うのかもしれない。最後に指紋を取られたときは、さすがにあまりいい気分じゃなかった。

せっかく早く行ったのに、窓口に誰もいなかったから番号表をもらわなければいけないということに気づかず、結局順番はほぼ一番最後になってしまったのだけど、それでも午前中で終わったのには驚き。週末だからか、人数制限をしていたのでラッキーだった。早朝から待っていて追い返された人たちには気の毒だけど・・・。

とりあえずこれで、やるべきことはやった。書類を確認したおじさんは「OKだから呼び出し状が届くのを待っていてね」と言ってくれたのだけど、まあ安心はできない。いろいろなブログを読んでいると、あとから書類の不備を指摘されるということもあるみたいだし(手渡しの意味なし)、最悪、却下される可能性もないとはいえない。確かに、必要とされる額ぎりぎりの残高、権威のあるパリカトから今の小さな学校に変えたこと、それもパリカトでB1-1の修了証をもらっているにもかかわらず、今の学校でも引き続きB1で登録していることなんかはちょっと不安だけど、どうしようもない(パリカトで8月に受けたB2-1の講習の出席証明書と修了証は出さなかった)。結局、最後に決めるのは担当者だから、書類が揃っていてもダメなときはダメなのだ。呼び出し状が届くまではちょっと落ち着かないけれど、まあやっと手放せたことはよかったかな。

 
滞在許可証の更新①はこちら
滞在許可証の更新②はこちら
滞在許可証の更新③はこちら
滞在許可証の更新⑤はこちら

 

年明けの瞬間
年明けの瞬間はこんなかんじ