キューバ旅行①

このブログはパリ暮らしについて綴るものなのだけど、せっかく行ってきたので少し書いてみようと思う。キューバというと、多くの日本人にとっては社会主義の未知の国っていうイメージがあると思うけれど、予想以上に観光地化していてびっくりした。欧米人が圧倒的に多く、アジア人はまだ少ない。時期のせいもあったのかもしれないけど、街を歩いていて日本人に会うことはほとんどなかった。公用語はスペイン語だけど、客引きのためにみんな英語を勉強しているし、観光地ではけっこう英語が通じる。もちろんスペイン語はまったく分からないから、これは助かった。社会主義の精神なのかスリとかボッたくりは(まだ)あまりなくて、むしろパリより安全なぐらい。そして、親切な人が多い。

 国会議事堂前

 
キューバと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、ゲバラとカストロ、そしてクラシックカー。予想以上にたくさん走っていて、事前に写真では見ていたものの、実際に目にしたときは圧倒された。本当にタイムスリップしたような、映画の中に入り込んだような、不思議な世界。ほかの国では見られない独特の光景。これらのクラシックカーはタクシーになっているものが多いらしく、中でもきれいなものは観光客専用なのだけど、キューバ人が普段利用するタクシーや自家用車としても使われている。このクラシックカーに乗ってハバナ市内を1時間で回るツアーがあり、もちろん参加した。乗り心地も悪くない。
 

 
ハバナは思っていたよりもかなり大きな都市で、観光客が集まるのは旧市街。この辺りでは、イメージ通りのキューバの街並みが見られる。犬のふんがそこら中に落ちていたり、どこででもタバコを吸えたりするから、はっきり言って清潔ではないけれど、こういうところ大好き。潔癖症で海外旅行に行けないという人は本当に気の毒だと思う。
 

 
海に面しているのも魅力。水が透きとおっている。テレビでもよく見るハバナの景色。海沿いをずっと歩いて行ってもぜんぜん飽きない。夕方になると地元の人も集まってきて、みんな何をするでもなく座ってぼーっとしている。確かに、ここはきれいな夕日が見られるから、住んでいても毎日来たくなるのかも。ちなみにこの辺りには、作り話で旅行客をだましたりナンパしたりする人もいる。こういうのを避けるには無視するのが一番なのだけど、私は声をかけられるとちょっとしゃべってみる方で、ここでもなぜか若い男の子に気に入られてコーラをおごってもらった。変な場所について行かなければ大丈夫。でも、観光地化するにつれてこういう人が増えるのはちょっと残念。
 

 
旧市街の中でも一番活気があるのが、このオビスポ通り。観光客向けのレストランや両替所、ツアーオフィスなんかが集まっていて、一日中、外国人でにぎわう。

 オビスポ通り

 
この通りには電話会社ETECSAのオフィスもあって、入口前には常に長蛇の列が。というのも、キューバはまだwi-fiが十分に整備されていないので、ここでカードを買い、数少ないwi-fiスポットに行かなければ、ネットに接続できないのだ。私はずっと紙のガイドブックを持って旅行してきたし、ネットがないからといって特に困ることはなかったのだけど、若い人たちはガイドブックを持たずに来ていて、これにはびっくりだった。彼らにとってはきっと、ネットが使えないことは大問題なんだろうな。カードは1時間分が200円ぐらいで、私は同じ宿の人に100円で譲ってもらい、2回だけつないだ。仕事をしているわけじゃないから、10日ぐらいメールを見なくても別にどうってことないのだけど。

 ETECSA前

 
キューバ人の買い物はどんな感じなのか、かなり興味あり。案の定、商品がものすごく少ない。ショーウインドウにもぜんぜん引かれないし、野菜や果物は新鮮じゃなさそう・・・。ただ、パン屋の数は多い上に、なぜかどこも24時間営業みたいだった。全部コッペパンだけど。
 

 
キューバには高級ホテルもあるけれど、カサ・パルティクラル(通称カサ)と呼ばれる、いわゆる民宿が無数にあって、安く泊まれる。青いイカリのようなマークが目印で、街を歩いているとそこら中で見かけるから、よっぽどのハイシーズンじゃない限り全部埋まるということはないと思う。観光客の増加とともに、どんどん増えているようだし。

 カサのマーク

 
ハバナで泊まったのは2つのカサ、「ホアキナさんの家」と「しおまらさんの家」。どちらも日本人と韓国人が集まる宿で、旧正月のバカンスの時期だったから、韓国人がすごく多かった。ブエノスアイレスでも日本人宿に泊まったけれど、こういうのって口コミで自然にできていくものなんだろうな。
 

左:ホアキナさんの家 右:しおまらさんの家

日本人ばかり集まるって最初はどうかと思ったけれど、一人旅をしているとやっぱりちょっと寂しいし、英語をしゃべる人たちばかりの宿だとずっと緊張していないといけないから、あるときから日本人宿に泊まるようになった。外国で言葉が通じる相手がいるとほっとする。それに、情報が集まるのも大きなポイント。こういう宿にはたいてい情報交換ノートがあって、ガイドブックに載っていないディープなネタが満載なのだ。キューバは特に、地球の歩き方もまだまだ情報不足だから、体験談はとても貴重。そして何より、みんな意見が一致するのが食事。一人だとレストランには入りにくいし面倒なので、仲間がいるとうれしい。だから大体、昼間は別行動、夜は一緒にレストランに行くというパターンになる。クラシックカーのツアーも、同じカサに泊まっていた日本人の男の子と韓国人の女の子を誘って一緒に乗ったし、wi-fiカードも安く手に入れることができた。ただ、中には何も知らずに来たドイツ人の男の子もいて、なんで日本人と韓国人しかいないのか不思議だと言っていた。確かに、本当はいろんな国の人がいる方が健全なんだと思う。逆に、ヨーロッパ人が集まる宿ってあるんだろうか。
 

左:ホアキナさんの家の朝食 右:しおまらさんの家の朝食

ブエノスアイレスでもそうだったけど、キューバまで来る人というのは旅慣れていることが多く、大体みんな中・南米と組み合わせて長期で旅行している。だから、明日帰ると言うと「どこに帰るの?」とか「次はどこに行くんですか?」と聞いてくるのがおもしろかった。帰るっていうと、普通は住んでいる国に帰ることだと思うんだけど。そして気づいたのは、女子は大体20代半ばから後半ぐらい、男子は大学生がほとんどだということ。私のような“子育て世代”の女性はまずいない。彼女たちを見ながら、みんなこの先、どうやって生活していくんだろうな~となんとなく考えていたのだけど、思い当たった。そうか、結婚するまでだ。派遣の時給の話題も出ていたから、きっと日本にいる間は派遣でお金をためて、貯金ができたら旅に出るっていう生活をしているんだろうなあ。まあ生き方は人それぞれだし、私みたいに家庭を持つことを拒否してふらふらしている人間もいるのだけど、もしも、結婚するから大丈夫って思ってるなら、残念だ。旅行とは別に関係ないけど、そんなことを考えてしまった。②につづく
 

その他の写真はこちら

 

ゲバラの肖像
内務省の壁にはゲバラの肖像が

アロカシオンの申請②

前々回の記事のつづき。書類関係のトラブルが多いフランスだけど、この住宅手当アロカシオンの申請もうまくいかないことが多いようで、ネット上には数カ月も不毛なやりとりをしたと嘆いている人がけっこういる。ところが、私の場合は驚くほど順調。必要書類を郵送してから1週間で配達証明が届き、アロカを管理する機関CAFのホームページから自分専用のページにアクセスしてみると、書類が受理されたという表示が出ている。なんてスピーディー。それから2、3日後には、支給開始決定とその金額の通知がきた。ちなみにこの専用ページ、新しい書類が届いてもそれを知らせてくれるシステムがないので、全部の項目を開いてみて初めて気づいたのだけど。

支給金額は、住んでいる場所や建物、個人の事情によって決まるから人それぞれなのだけど、私の場合は家賃の3分の1ぐらい。毎月の食事代が賄えるぐらいだから、かなり助かる。ひと安心したものの、書類をよく見ると、支給が今年の1月分からになっている。おかしい。確か入居の翌月分、つまり10月分からもらえるはずなのに。考えた末、申請したのが1月だったからなのではと思い当たった。でも留学業者のサイトなんかにも、申請が遅れた場合はさかのぼって支払われると書いてあるし、CAFのホームページで調べてみたところ、やっぱり入居翌月分から受給の権利があるとなっている。ただ、そこには「権利を失いたくなかったら早く申請することをおすすめします」とあるだけで、遅れた分は支払うとも支払わないとも書かれていない。3カ月分とはいえ、そのままあきらめるには金額が大きいので、一度問い合わせてみることにした。手紙にしようかとも思ったけど面倒だし、内容から考えて一蹴される恐れもある。ここは直接、行ってみなければ。そんなわけで、何度も出てくる“本当に来所が必要ですか?”という表示を無視してホームページから訪問の予約を取り、パリ郊外のVal-de-MarneにあるCAFへ向かった。

 CAF外観

 
入り口には10人ほどが並んでいて、予約がない人は容赦なく追い返されている。こういう場面、こっちでは本当によく見る。そんな中、スマホの予約画面を提示して番号札をもらい、彼らの横を抜けて建物の中へ。15分ほどで呼ばれて窓口へ行くと、目の前にはもう引退間近と思われるおばさんが。私の書類を確認して「何が問題なの?」。事情を説明すると「ああ、大したことじゃないわよ。申請した月から支給するっていうルールになっているから」と一言。いやいや、大したことじゃなくない。だって申請には滞在許可証が必要なのだ。滞在許可証は移民局の都合で呼び出されるまでもらえないわけだから、そのために申請が遅れたってこっちのせいじゃない。ということをつたないフランス語で繰り返し訴えたけれど「そう決まっているから」「説明したでしょ。もう終わり」とピシャリ。

しまいには、信じられないことに笑い出した!しかも大声で!一瞬、何が起こったのか分からなかったけど、おそらく少し離れたところにいたのであろう同僚の方を向き「この外人、いつまでもおかしなこと言ってるわよ~」と話しかけているような調子。なんなんだ、この対応。今、日本の役所でこんなことをすれば、所長がテレビカメラの前で謝罪する事態になりかねない。その後も同じようなやりとりが続いておばさんは合計3回ぐらい大笑いし、ついには「おしまい」と言って席を立ってしまった。残された私は「C’est pas vrai!(ありえない)」「C’est pas gentil!(不親切)」などと、フランス人がよく口にするフレーズを連発してみたけれど、相手がいないので何ともならない。どうしよう。このまま帰るのも悔しいし・・・と思っていると、おばさんが若いお姉さんと一緒に戻ってきた。

このお姉さんがすごくいい人で、事情を理解すると「あなたの言っていることはとてもよく分かるけど・・・」と言って、丁寧に説明を始めた。正直、この辺りのフランス語はほとんど分からなかったのだけど、まあ結局はだめなんだろうなと予想し、もうフランス語を話すのも疲れてきたので思わず英語で返事をしてしまうと、なんとお姉さんも英語に切り替えてくれた。その後のやりとりはほぼ完璧に理解できて、もし納得がいかないならうまくいくかどうかは分からないけど手紙で苦情を訴えるといいこと、そしてフランス語で書くのが難しいようなら専門家のサポートも受けられることを教えてくれた。ああ、最初からこういう“普通の対応”をしてくれれば、こっちだって冷静になれるのに。お姉さんのおかげでなんとか落ち着いて話ができたものの、あのおばさんには本当に気分が悪くなった。仕事をしていたときにもよく思っていたけれど、同じことを言うのにも言い方ってものがある。
 

ライン

 
結局、その後に体調をくずしたこともあって、手紙はまだ書いていない。そもそもこのアロカは、もちろんフランス人の払った税金が財源になっているので、私のように本当の意味でお金に困っていない留学生にとってはおまけみたいなものなのだ。実際、裕福な留学生に補助金を出すことに対して、フランス人の間には批判の声もあるらしい。それを考えると、あまりこだわるのもどうかなという気がする。ただまあ、権利があるからにはいったんは主張してみるべきだと思うけど。それにしてもおかしなシステムだ。確かに、滞在許可証はもらえた時点で提出すればよく、ネット上での申請(というか登録?)には必要ないのだけど、それはやってみるまで分からない。学校で聞いてみても支給開始月はばらばらで、ちゃんと入居翌月分からもらえている人もいれば、私と同じように申請した月の分からしか出ていない人もいる。つまり、管轄のCAF、あるいは担当者によって判断が違うということ。日本では考えられないこんな適当な対応が当たり前のフランス、とりあえず手続き関係は何でも早めにやっておくようにしよう。

 

書類
CAFから届いた書類。雑な折り方にびっくり

 

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まさかの病院行き

新学期が始まって3日目、ひどい下痢に襲われた。それでも最初は特に何ともなく、その日は授業にも出たのだけど、徐々にしんどくなる。何も食べられないし、飲んでもすぐにおなかが痛くなってしまう。ただ、思い当たることがあった。学校が始まる直前までいたキューバで、一度おなかをこわしたのだ。でも、これは明らかに食べ過ぎが原因で、何かに感染したというわけではない。このときもかなり大変で、丸一日、何も食べなかったのだけど、2日後には良くなって普通に食事していた。でもきっと、まだ治りきっていなかったのだ。それなのに、肉やパスタを食べ、レモネードやコーラをがぶがぶ飲んでいたから(暑いから炭酸がおいしかった!)、悪化したんだと思う。そういえば、パリに戻ってきてからおなかの奥の方に少し痛みがあった。真夏のような暑さから雪の舞う真冬の寒さに逆戻りしたことも、体調がくずれた原因かもしれない。

翌日からは頭痛と腹痛も加わって、新学期1週目にして早くも2日間休んでしまった。前学期はどの授業も皆勤だったのに・・・。でも仕方ない。健康第一。週末もずっと寝て過ごしていた。ところが、いっこうに良くならない。社会人になってから胃がだいぶ小さくなったようで、少し食べ過ぎるとすぐにおなかをこわすようになってしまったのだけど、大体1日たてば良くなる。こんなに不調が続くとさすがに不安。ふらふらになりながらもネットで調べて、スメクタという飲み薬を買ってきた。日本でもスメクタテスミンという名前で売られているらしく、フランスでは下痢や食あたりの薬として定番なんだそう。ところが、これでも治らない。

 
スメクタ

 
ほとんど何も食べていないから、力が入らなくて立っていられない。シャワーを浴びるのもドライヤーをかけるのも必死。週明けから学校には行き始めたものの、電車で立っているのもしんどいし、駅や学校の階段がまたひと苦労。今は毎朝、4階の教室まで上がらなければいけないのだけど、ものすごくゆっくりとじゃないとたどり着けない。おまけに数日間で激やせしたから、スキニーのはずのデニムもぶかぶかで、歩いているうちにずり落ちてきてしまう。そんな状態で1週間がたち、ようやく観念して病院へ行くことにした。

向かったのは、パリに住んでいる日本人にはおそらくおなじみのアメリカン・ホスピタル。パリを少し出た郊外にある、いわゆる富裕層のための“セレブ病院”で、一般のフランス人にとっては憧れの病院らしい。日本人の医師がいて日本語で診察してもらえるから、旅行中の日本人にとっても心強い存在。何回か電話をした後、直接、日本人の先生につながり、予約もすぐに取れた。私が加入しているAIUを含め、いくつかの保険会社はキャッシュレスサービスというのを行っていて、診察代は病院から直接、保険会社に請求がいく。だから、立て替え払いやその請求の必要もない。利用して初めて知ったけれど、すごく便利なサービス。

 
アメリカン・ホスピタル

 
診察当日、午前の授業の後、メトロを乗り継いで病院最寄りのPont de Neuilly駅へ。ここからバスが出ているのだけど、早く着きすぎたので歩いて向かう。というのも、この辺は高級住宅街だというのを事前に調べていたので、どんな雰囲気なのか知りたかったのだ。確かに、童話に出てきそうな大きくて重厚な家やアパートが多く、閑静という形容詞がぴったり。パリ市内とは明らかに違う。多少不便でも、郊外に住みたいというお金持ちが多いのも分かる気がする。

 
アパート

 
15分ほどで病院に到着し、受付で日本人医師の診察を予約していることを伝えると、事前にほかの人のブログで調べていた通り「ミギ、ヒダリ、ミギ、4バン」と日本語で教えてくれた。日本人が多いんだろうなあ。中はなるほど清潔で落ち着いた雰囲気。入院しても快適に過ごせそう。日本人医師の診察室前にはテレビがあり、NHKの国際放送がかかっていた。診察自体は10分ぐらいで終わり、詳しい検査はしていないから原因も分からなかったのだけど、なかなか丁寧で感じもよかった。何より、日本語でやりとりできるのが安心。抗生物質と整腸剤を処方してもらい、3日たって治らなければまた来てくださいとのこと。スメクタも続けて飲むように言われた。ちなみに、フランスの医療は分業制になっていて、診察と薬の販売がそれぞれ独立しているため、薬は必ず薬局で買わなければいけない。日本のように診察の後、そこで薬ももらうというわけにはいかないから少し不便に感じるけれど、薬局は街中にたくさんあるので、見つけるのに苦労することはあまりない。

薬が効いたのか自然に治ったのか分からないけれど、翌日から徐々に回復し、今ではかなり良くなって週末には美術館にも行けた。まだ量があまり食べられないのだけど、まあこれも時間の問題だと思う。何より、寒さがだいぶ緩んできて最近は10度を超える日が続いているから、身体もずいぶん楽だ。それにしても日が長くなるのが早くて、少し前までは午後5時半で真っ暗だったのに、今はもう7時過ぎまで明るい。いい季節になっていくのに、体調をくずしている場合じゃない。海外での初病院は悪くない体験だったけれど、やっぱり健康が一番。

 

みかん
みかんでビタミン補給。意外においしい