滞在許可証の更新②

さて、書類を6月の初めに警察署に郵送して3週間。スペインから帰ってくると、郵便局からの配達証明はちゃんと届いていた。スタンプの日付を見ると、なんと投函した翌日に先方に届けられている!やればできるじゃないか、フランス人。ただ、それからはまったく音沙汰なし。7月の終わりになっても、何の連絡もない。このころになるとさすがに気になりだして、自分の住んでいる地域であるVal-de-Marneのホームページを再度確認してみた。すると、投函した約1週間後に情報が更新されていて、書類を郵送するだけでよかったはずが、パリ市内と同じように警察署に予約を取って直接手渡しする方法に変わっている。そして、そのホームページが更新された日、つまり手続きが変更になったことが公表されたその日から、郵送で届いた書類は自動的に送り返されるとのこと。ふー危ない!私の書類はそれより前に着いているはずだから問題ないけれど、あとちょっと準備が遅れていたら、せっかく用意したのに受け付けてもらえないところだった。でもおそらく、不幸にもそういう目に遭った人がけっこういるんじゃないだろうか。せめて周知に1カ月ぐらいは必要だと思うのだけど。まったく、自分たちの都合しか考えていない。
 

配達証明
郵便局からの配達証明

 
元々、滞在許可証の更新手続きは時間がかかるものなので、今持っている許可証の有効期限が切れたあと、新しい許可証ができるまでの間をつなぐものとして、通常はレセピセという仮の許可証のようなものが警察署から発行される。滞在許可証と同じ効力を持つから、これを持っていればとりあえずはOKなのだけど、経験者のブログを読んでいると、滞在許可証の更新もレセピセの発行もしてもらえないまま数カ月過ごしたという人もけっこういるみたい・・・。有効な滞在許可証またはレセピセがないとどうなるかというと、もちろん不法滞在になるのだけど、まあ職務質問されることなんてめったにないし、手続き中だという何らかの証拠があれば大丈夫だから、この点はあまり心配いらない。問題は、これらのどちらかがないと旅行に行けないこと。といってもフランス国内であれば大丈夫で、国外に出ることができないのだ。9月はまたヨーロッパに行きたいと思っていたから、早く手続きが終わらないと準備ができないし落ち着かない。

毎日、郵便受けを眺めるものの何も進展がないまま、郵送から2カ月たったところで一度、ホームページにあったVal-de-Marneの警察署のアドレスにメールで問い合わせてみた。とはいえフランスのことだから、返事がくるとは限らない。あまり期待せずに待っていると5日後、奇跡的に返信が。でも内容は「ビザの番号が書かれていないので調べられません」。名前も住所も電話番号も知らせてあるのに、どれかで調べろよ。まあ、とりあえず反応してくれただけよかった。すぐにビザ番号を書いてメールを再送したものの、それに対する返事がきたのはまたも5日後。しかも「管轄が違うのでHay les Rosesの支署にお尋ねください」って。ん?そうなの?確かに、Val-de-Marneという地域には複数の町が含まれていて警察署もいくつかあるようだから、最初に更新手続きを調べたとき、ややこしいなと思ったのだ。ただ、最終的にVal-de-Marneの管轄内に住む人は共通でVal-de-Marneの警察署に郵送すればいいんだな、と自分では理解したつもりだった。まあ支署とはいっても同じ地域内なんだし、転送するなりしてくれているだろう。そうでなければ、返送されてくるはずなのだから。と、こう思うのが普通の日本人の感覚。

さっそくHay les Rosesの支署にメールをしてみるものの、こちらは何日待ってもまったく返信がない。仕方なく、ついに直接行くことにした。結局こうなるのか。こちらの方が家からはだいぶ近いのだけど、最寄駅から20分ほど歩かなければいけない。そして、問い合わせをするために3回も行くはめになった。

1回目:8月14日(月)。午前中の授業を終えて向かうものの、なんと休み。翌日の15日(火)がフランスの祝日だったから、この余計な平日の1日も休みにしてしまおう!ということだったんだと思う。
2回目:3日後、再び授業終わりの午後2時ごろ到着。入ろうとすると入り口前に警察官が立っていて、チケットがあるかどうか聞かれる。持っていないと言うと「ここのシステムをご存知ですか?朝9時前に並んでチケットをもらわないと入れませんよ」。出た。これぞフランス。こういうのはこちらではよく聞く話で、ちょっとした手続きのために早朝から何時間も並ぶのが当たり前なのだ。念のため、チケットがないと絶対に無理なのかと確認したけれど、ダメだとの答え。「9時前に並んでください。まあ8時にはもうずらっと列ができているけどね。ははは」。そうだろうな。まあこの警察官は悪い人ではなかったので、あきらめて別の日に向かうことにする。

そして週が明けて3回目。学校を休み、早朝にまたも20分歩いて同じ場所へ。到着したのはちょうど7時ごろだったのだけど、予約なしの外国人用の列にはすでに60~70人が。うんざりして最後尾につく。スマホを見ている人もいるけれど、どちらかというと何もせずにただじっと待っている人の方が多い。ベンチは入り口前にしかないから、立ちっぱなし。真夏とはいえ朝は寒いし、これが冬だったらと思うとぞっとする。まあ今は人が多い時期ではあるのだけど、それにしても毎朝、この光景がくり返されているのかと想像すると、ある意味すごい。

 警察署前の列

 
9時にやっと営業が始まると、まずは予約がある人の列から優先的に入ることを許可され、こちらにはまだまだ順番が回ってこない。と思っていたら、職員の女性が整理券を配りだした。これがチケットのことだ。9時になった時点で並んでいる人に配布し、配り終えたところでその日の受付は終了のようだから、どうしても9時前に来なければいけない。その後、さっきのお姉さんが1人1人の書類を簡単に確認していく。ほとんどの人が滞在許可証の問い合わせのために来ているようで、私もパスポートを見せ、配達証明を渡して、予想より早く9時半ごろ中に入ることができた。でも、入ってからがまた長い。そこからまだまだずーっと並ぶ。その間、列をつくっている人たちの前で職員が何人かの名前を読み上げるという場面が何度かあった。どうも配達証明と照らし合わせて、すでに新しい滞在許可証またはレセピセができていれば、そこで直接本人に渡しているよう。できているのなら早く呼び出し状を送ってくれればいいのに、わざわざ足を運んでやっともらえるって。まあでも、その人たちはそこで帰れるのだから、結果的には悪くない。

ようやく窓口にたどり着いたのは12時。5時間待ったことになる。同い年ぐらいの女性にさっそく事情を説明しようとすると「まずは整理券と滞在許可証を見せて」。そしてこちらの話を何も聞かないまま、何か書類の用意を始めたので、いやいやもう2カ月以上前にVal-de-Marneの警察署に必要書類を郵送していると言うと「なんでVal-de-Marneに?ここに送らないとだめなのよ」。でもホームページにそう書いてあったし、じゃあ私の書類どうなったんよ?ここが管轄なんて知らなかったし、と食い下がるものの「でも今、分かったでしょ」とにっこり。こういうとき、言葉がすぐに出てこないのは本当に悔しい。嫌味の一つも言えないのだ。

結局、Val-de-Marneに送った書類はなかったことにされ、一からやり直しになった。ここも今は予約方式になっているようで、その場で予約を取ってくれたものの、なんと来年の1月。はあ。でもまあ、この仕事の遅さからすると、それだけ時間がかかるのも納得。郵送でラッキーと思ったけれど、管轄が違っているというような基本的な情報をこちらから聞くまで教えてもらえないことを考えると、手渡しの方がいいのかも。でもまさか、転送も返送もしてくれないとは思わなかったのだ。絶対にコピーしか入れるなと書いてあったのはこういう場合のためで、きっと間違って送られてきたものは自動的に処分されているんだろうなあ。写真も入ってるんだけど・・・。これなら、手続き方法が変更になったといって送り返してもらえる方がマシなんじゃないだろうか。そもそも、ホームページにも、ダウンロードしておいた申請書類のリストにも、住んでいる町によって郵送先が違うなんてこと書かれていなかったし、絶対に同じ間違いをしている人がたくさんいるはず。ちなみに、この更新手続きは留学業者のサポートに含まれていて、途中でこちらに住んでいる日本人サポーターが何度か連絡してきたのだけど、この人は今年からサポートを始めたばかりで経験がなく、何も知らなった。前の人はちょっと頼りなかったものの、だいぶ慣れているようだったからきっと知っていただろうなあ。ついてない。まあ結局は、自分でやらないとだめなのだけど。

ただ、心配していたレセピセは、パスポートや家賃支払い証明書などがあればすぐに出してくれるみたいで、滞在許可証の期限が切れる9月3日までにまた持ってくるようにとのこと。マジか。また並ぶのか。今日書類を持っていたらすぐ発行できたのに、と言われたけれど、持ってるわけない。もう2カ月以上前に提出したつもりだったのだから!でも最初、1月までレセピセがもらえないのかと焦って、あからさまに嫌な顔をされながら何度も確認した結果、9月3日までに来れば大丈夫、例えば明日でもいいし、と言ってくれたので、とりあえずひと安心。最悪、フランスから強制退去させられることも考えていたから、まあ少なくとも1月まではいられることが分かってその点はよかった。旅行にも行けるし。ただ、せっかく最新の日付ですべての書類をそろえたのに、また予約日に合わせて同じことをしなければいけないのはうんざりだけど・・・。

そんなわけで、いったんはほっとしたものの、さすがはフランス。まだまだこんなことでは終わらなかった。③につづく

 
滞在許可証の更新①はこちら

 

必要書類リスト
あらためて必要書類リストを渡される

 

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滞在許可証の更新①

フランスに来たのはほぼ1年前の去年9月。ビザの有効期間は今年の9月3日までだから、本来ならばそろそろ出国しなければいけないのだけど、滞在を延長することにした。元々、1年では短いと思っていたので延長するつもりではあった。せっかく、いろいろとやっかいなことを調整して、乗り越えて、こうして落ち着いているのだから、できる限り長くとどまっていたい。またこれを一からやるのは大変なのだ。

滞在を延長するためには、滞在許可証の更新手続きが必要になる。でもこれが、本当にうっとうしい。フランスでの手続きはそもそも全部がスムーズにはいかないのだけど、私自身はこれまでのところ、奇跡的にあまり嫌な思いをしてこなかったから、そこまで実感はなかった。でも今回は心の底からイライラ。なんなんだ、この国。

うんざりする経過を書く前に、まずはビザと滞在許可証の違いについて。私も自分が経験するまで、これをよく分かっていなかった。

まずビザは、フランス入国前に日本で申請して交付してもらうもので、パスポートに貼り付けてある。ビザの種類がいろいろあるから詳しいことはよく知らないけれど、学生ビザの場合は最長1年。私も入国からちょうど1年後となる9月3日まで認められた。

 ビザ

 
一方、滞在許可証はフランスに入国してからこちらでもらうもの(というか、もらいに行くのだけど)。有効期間はビザと同じ。これはシールになっていて、ビザと同じようにパスポートに貼り付けてある。つまりパスポートに、同じ有効期間を持つビザと滞在許可証の両方が貼ってあるというわけ。ビザだけで十分だと思うのだけど、その辺の仕組みは謎。滞在を延長する場合はこの滞在許可証の更新が必要になり、更新後はビザを持っている意味はあまりない。ちなみに、この更新手続きを怠ると、不法滞在になる。

 滞在許可証

 
準備を始めたのはかなり前の3月。というのも、今住んでいる学生用のアパートは毎年6月から1年間の契約になっていて、延長する場合は3月末までに申し出なければいけなかったのだ。フランスは9月が新年度の始まりで、学校は大体6月ごろから夏休みに入るから、それに合わせた契約期間になっている。でも、元々8月末まで入居することにはなっていたものの、その後のことなんてその時点ではまだそれほど深く考えていなかったので、これは不意打ち。ポストに入っていた通知を読んで初めて契約期間のことを知り、びっくりした。滞在を延長するならパリ市内に引っ越したいなということはなんとなく思っていたのだけど、いつまでいるか分からないし、気に入るところがみつかるとは限らない。そのころは春学期が始まったばかりで考える時間もあまりなかったし、引っ越しとなると面倒だし、お金もかかるし。ということで、引き続きここに住むことに決定。1年契約とはいえ、退居は自由にできるから、引っ越そうと思えばいつでもできる。そして、次からは業者を通さず、個人としての契約に切り替えた。やっぱり、この年になって生活に関わることを自分で管理しないというのはなんか気持ち悪い。

9月以降もここに住み続けることを決めたからには、その他の準備も進めなければ。滞在許可証の更新手続きは住んでいる地域によって違い、まずはいつも通りネットで情報収集。この更新手続きは、滞在許可証を発行する移民局ではなく、各地域の警察署で行う。パリに住んでいる場合、警察署に予約をして、当日、必要書類を手渡しする、という方法が主流のようなのだけど、自分の地域であるVal-de-Marneのホームページを調べてみると、どうも書類を郵送すればいいみたい。絶対に直接訪問してくれるなとまで書いてある。予約を取ってわざわざ自分で行くより簡単そう。というのもこの予約、ひどいときには半年後まで空いていないこともあるらしく、それまで手続きが進まないのだ。それに比べればラッキー!と、そのときは思ったのだけど・・・。

必要書類も地域によって若干違い、私の場合はこんなかんじ。なお、すべてコピーのみで、原本は絶対に送るなと書いてある。
●パスポートのコピー
●滞在許可証のコピー
●出生証明書:日本から持ってきた戸籍抄本の仏訳を利用
●住居証明:契約証明書と家賃支払い証明書をアパートの管理事務所で発行してもらう
●パスポート用サイズの写真4枚:日本から持ってきたものが余っていたのでこれを使う(本当は最近のものじゃないとNG)
●これまでの学習歴(日本の大学含む)とフランスでの今後の学習計画:ネットから指定フォーマットをダウンロードして記入
●大学の卒業証明書:日本から持ってきた英文の証明書を利用
●これまでフランスで通っていた学校(パリ・カトリック学院の語学学校)の成績表と出席証明書:成績表は各学期末に直接受け取り済み、出席証明書は事務局で発行してもらう
●フランスの銀行口座における一定額の残高証明書:自分の口座情報はネットで見られるのでこれをプリントアウト
●留学保険証明書:慌てて延長手続きをする

これに加えて、今後通う学校の登録証明書が必要。学生ビザの場合、ただなんとなく滞在を延長することはできず、常に一定時間、学校に通う必要がある。つまり、9月から通う学校に学費を払い、登録証明書を発行してもらわなければいけないのだ。ということで、学校探しをスタート。パリカトは評判通り質が高く、すごくいいのだけど、春学期からだいぶつらくなってきた。夏期講習がかなり高度でしんどい、というのは以前の記事で書いたけれど、進級するにつれて読み書きのレベルと会話のレベルがぜんぜん違っていくのを大きく実感。こんなに難しい内容をやるよりは、もっと日常会話ができるようになりたい、という思いがこのときすでに強くなっていたので、会話重視の学校を探し、よさそうなところに決定。この学校についてはまた詳しく書くとして、取り急ぎ登録証明書を発行してもらう。

フランス語を読んで必要書類を全部きっちりそろえるのはなかなか大変。最後にもう一つ、CERFAを警察署に取りに来て書類と一緒に送れと書いてある。CERFAってなんだ?と思いながら、家から1時間ほどかかるVal-de-Marneの警察署へ。

 警察署

 
最寄駅からここへ向かう途中、湖があって気持ちいい。郊外は雰囲気がパリとはぜんぜん違う。
 

 
CERFAはA4の紙1枚で、要するに申請者を分類するためのフォーマットのよう。並ばずすぐにもらえたのはよかったのだけど、これだけのためにここまで来させるのなら、書類も直接受け取ってくれればいいのに。わざわざ郵送にする意味がない。

 cerfa

 
書類は滞在許可証の期限が切れる3カ月前から受け付けされるとのことだったので、それに合わせて準備。私の場合は6月3日がちょうど3カ月前だったのだけど、書類審査には時間がかかることが分かっていたし、6月はスペインに行くことにしていたから、出発前にどうしても出しておきたかったのだ。そしてなんとかきれいにそろえて、受領証付きの書留で郵送。フランスの郵便局は信用できないから、重要書類は全部これで送らないと。とりあえず、これでやることはやった。あとはひたすら、向こうからの連絡を待つのみ。

滞在許可証の更新は大体認められるらしいのだけど、却下されたという人もネット上には存在する。理由は一切教えてもらえず、退去命令が通知され、期限までに出国しなければ逮捕されるという恐ろしい事態に。学生の場合、学校に登録するのはもちろんだけど、これまでの出席率が低かったりなかなか進級できなかったりということがあると、却下対象になる。だから、授業をあまり休むわけにはいかない。それに、パリカトのような権威のある学校ならまあ疑われることはないものの、安い学費で大量の学生を集めているような語学学校を選んでしまうと、これもちょっと危ない。たまに、そういう名前だけの学校が摘発されて校長が逮捕されたりしているから、学校の方もかなり厳しく監視されているんだと思う。要するに、勉強しているんじゃなく、働いているんじゃないかということが、彼らが一番気にしていることなのだ。どの国も、外国人に仕事を取られたくはない。だから、ちゃんと学校に通っているということさえ証明できれば大丈夫なはず、だったのだけど・・・。②につづく

 

郵便局
初めて行った近所の郵便局はかわいらしかった

パリ20区歩き ―14区―

14区位置

 
パリに行ったことはなくても、モンパルナスという地名は聞いたことがある人は多いかも。20世紀初めに芸術家たちが住み着いたエリアで、それがこの14区。

14区には、いつも乗り換えに使っているダンフェール=ロシュロー駅がある。だからここは個人的にとてもなじみのある地区。この駅はいつも通過するだけで降りることはほとんどないのだけど、レトロでかわいらしい駅舎だった。14区歩きはここからスタート。

 ダンフェール=ロシュロー駅

 
駅からすぐのところにあるのがカタコンブ(地下墓所)。元々は採石場だった場所に、18世紀ごろ地上の墓地が不足したことから埋葬が始まったそうで、地下約18メートルに600万にも及ぶ人骨が納められているとのこと。現在は人気の観光スポットになっているようで、このときもすごい行列。

 カタコンブ前

 
持ってきたガイドブックにはあまり詳しく書かれていなかったのだけど、調べてみるとここは地下墓所として世界最大ともいわれる規模らしく、迷宮のようになっているみたい。かつては潜ったまま帰ってこず、遺体となって発見された人もいるとか。入ってみたいような、怖いような、でもほかにはなかなかない場所であることは間違いない。

 カタコンブ内
画像引用元:フランス・パリの地下深く600万人が眠る世界最大の地下墓地「カタコンブ・ド・パリ」

 
カタコンブのすぐ側にはライオンの像が堂々と座っている。春学期の作文の授業で読んだ小説にこの像が出てきたのだけど、やっと出会えた。普仏戦争でベルフォールの街を防衛した英雄ダンフェール=ロシュロー大佐の栄誉を称えているとのこと。駅名はこの人の名前だったのか。

 ライオン像

 
北に少し上がると、カルティエ現代美術館が見えてくる。カルティエとはもちろんあの高級ジュエリーブランド。ガラス張りのモダンな建物は周囲の木々と調和するように設計したらしい。確かに、透明ガラスに緑がよく映えている。こういう文化的な活動をする企業っていいなあ。

 カルティエ現代美術館

 
さらに北に向かい、ラスパイユ駅を過ぎたところにあるのがカンパーニュ・プルミエール通り。かつて多くの芸術家たちが暮らし創作活動を行った、歴史的な約100メートル。まあ、こうやって見たかんじは別に普通なのだけど。通りの入り口にあるレストランが素敵。
 

 
まずは31番地、マン・レイが長年にわたって利用したというアール・デコの建物。パリに多い無表情な建物とは違う、凝った装飾。中から子供たちが出てきたから、今もここで生活している人がいるのだ。こうやって古いものを受け継いでいくのがヨーロッパの文化。
 

 
エリック・サティなどが滞在したホテル・イステリアは29番地。

 29番地ホテル

 
1階右側、白っぽい入り口の上に、藤田嗣治の住んでいた「23」番地の数字が。当時とは変わっているだろうけど、こんなところで暮らしていたんだなあ。彼の絵はすごく好きで何度も展覧会に行っているから、感じるものも大きい。

 23番地

 
このカンパーニュ・プルミエール通りは『勝手にしやがれ』で、撃たれたジャン=ポール・ベルモンドがふらふらと走っていくラストシーンが撮影された場所でもある。歩いてきたのとは逆に、彼はレストランの方に向かってよろめきながら進み、ラスパイユ大通りに出てすぐのところで倒れた。

 勝手にしやがれ勝手にしやがれのロケ場所

 
そう聞くと、ここで撮影が行われていた場面が思い浮かびそうなぐらい、今でも独特の静けさがある。11番地は当時、ゴダールの友人のアトリエだったとのこと。

 11番地

 
通りにあるほかの建物も、確かにちょっとアーティスティックなものが多い。同じように芸術家たちが好んだモンマルトルの雰囲気にも少し似ている。
 

 
つづいて、多くの著名人が眠るモンパルナス墓地へ。パリには大きな墓地がいくつかあるけれど、ここは2番目の広さだそう。個性的なお墓もあって、ゆっくり見ていくと楽しめるかも。
 

 
まずは2010年に亡くなったエリック・ロメールにごあいさつ。好きな映画監督はたくさんいるけれど、やっぱり彼は別格。監督を1人挙げろと言われたら、もうずっと前からこの人だ。ただ、シンプルなこのお墓、探すのにかなり時間がかかった。大きな墓地では入口に地図があって、有名人が眠っている場所には印がつけてあるのだけど、それでも一つひとつアルファベットを確認しながら探し当てるのはなかなか困難。

 エリック・ロメールのお墓

 
映画好きならお参りしたい人たちはほかにも。これはジーン・セバーグ。それこそ『勝手にしやがれ』で忘れられないミューズを演じた。
 

 
ジャック・ドゥミ。何度見ても美しい『シェルブールの雨傘』や、たまたまこの直前に映画の授業で再見した『ロシュフォールの恋人たち』の監督。

 ジャック・ドゥミのお墓

 
そしてこの人も外せない。フランスのスター、セルジュ・ゲンスブール。今も世界中で愛される伝説的歌手。かつては日本でもかなりの人気だったはず。

 セルジュ・ゲンスブールのお墓

 
墓地をあとにしてモンパルナス大通りに出ると、歴史のあるカフェが並んでいる。顧客であったモディリアーニの絵が飾られているラ・ロトンド、ヘミングウェイがここの牡蠣を好んでいたというル・ドーム、ピカソや藤田らが愛用したル・セレクト・・・。こういうカフェは、今でも著名人が通っているというから、きっと雰囲気も当時のまま変わっていないんだろうな。
 

 
モンパルナス駅に向かってモンパルナス大通りを歩いていく。途中、モンパルナス通りに折れると、クレープのお店がたくさん。クレープは元々ブルターニュ地方の郷土料理で、モンパルナス駅からブルターニュ行きの列車が出ているため、駅から近いこの辺りにクレープ屋が密集しているんだそう。これらのクレープがどういう味なのかは分からないけど、日本のようにデザートという感覚ではないと思う。
 

 
駅に近づいていくと、空に向かってそびえるモンパルナスタワーが。高さ210メートルとのことで、6区にある学校の近くからでもよく見える。最上階には展望台があるらしいから、そのうち上ってみよう。

 モンパルナスタワー

 
この辺りの雰囲気は、庶民的で親しみやすい。地元の人が通っていそうなカフェやレストランがあり、アート市のようなものもやっている。観光客相手じゃない場所って落ち着いていていい。
 

 
ようやくモンパルナス駅に到着。4月にラ・ロシェルへ行ったとき、ここから乗ったのだけど、よく見ると近代的な駅だ。モンパルナスっていう響きから想像するのとはだいぶ違う。

 モンパルナス駅

 
実はこの辺りにはよく来る。というのも、映画館ゴーモン・パルナスがあるから。まあここは普通のシネコンなのだけど、周辺に分館みたいなのもいくつかあって上映作品が多い。学校の帰りに寄れるから便利だし。ただ、私はカードを使えるけれど、学生料金でも10ユーロ以上とかなり高い。パリは映画館によって料金がぜんぜん違うのだ。

 ゴーモン・パルナス

 
ここからは線路に沿ってずっと南へ下っていく。途中、公園がたくさんあって、大人も子供も外へ出て遊んでいる。健康的な風景。それにしても、本当にパリって公園が多い。
 

 
どんどん歩いていくと、見たことのある景色。パリに来たばかりの去年9月、ヴァンヴの蚤の市に一度訪れた場所だ。ここでトラムを降りたんだっけ。この住宅街も見覚えがある。あれからもう1年近くたってしまった。
 

 
今度はトラムに沿ってさらに歩き、郊外鉄道RERのシテ・ユニベルシテール駅に到着。ここもいつも通る駅だけど、外側から見るのは初めて。シテ・ユニベルシテールというのは大学都市、大学が集まっているところという意味だから、きっとこの辺の建物は大学なんだろうと思う。外国人を含むたくさんの学生たちがこの駅で乗り降りしているし。
 

 
そして駅の周辺にはまた公園。このモンスリ公園は『5時から7時までのクレオ』などの舞台にもなっているそう。映画はぜんぜん覚えていないけど、ここもまた地元の人がのんびり過ごす気持ちのいいスポット。
 

 
 
14区は意外にみどころが多くて、なかなか大変だった。芸術家たちが集った痕跡があちこちにある一方で、今を生きる人たちの暮らしぶりも感じられ、大きいけれど親しみのある雰囲気。アーティストたちが気に入った理由も分かる気がする。観光客であふれる中心部を少し離れただけの落ち着いたパリ、古い歴史や文化とともにある庶民的なパリが見られるのが14区なのかな。

 

花屋
カタコンブ近くで見かけた花屋

 

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