意欲の低下

相変わらず、コートがいるぐらいの寒さが続いているパリ。8月のパリは観光客の方が多いと言われるぐらい、中心部はどの通りも外国人であふれているのだけど、こんな天気ばかりだと本当に気の毒だ。でもこれだけ青空が少ないことを考えると、フランス人が太陽を恋しく思う気持ちも分かる気がする。
 

リュクサンブール公園
リュクサンブール公園にて

 
さて、8月の夏期講習は3分の1がすでに終了。先月よりアメリカ人は減って、今は逆に韓国人が多い。20人弱いるクラスのメンバーのうち、5、6人ぐらいが韓国出身。ただ、年齢層はまたもバラバラで、やっぱり夏は長期休暇を利用する人が多いのか社会人が目立つ。イラクでフランス語を教えている先生とか、国連の職員とか、本当に様々。うれしかったのは、このパリカト(パリ・カトリック学院)に通い始めて最初の秋学期のクラスで一緒だった台湾の生徒がいたこと。彼女とは年齢も状況も価値観も似ていて、秋学期が終わった後も学校で顔を合わせれば話をするぐらいの仲だったから、また同じクラスで学べるのは楽しい。彼女は1年ちょっと前にこちらに来て一からフランス語を勉強し始めたということなので、それでもう自分と同じレベルと考えると複雑ではあるのだけど・・・。

 罫線1

 
ただ、今ちょっとやる気をなくしている。B2-1のレベルに上がったわけなのだけど、難しすぎるのだ。授業にはついていけるし、先生の言っていることも分かる。でも内容はハード。B1までとは明らかに難易度が違う。もう文法自体を習うことはほとんどなく、知っていることを前提にフランス語で読んで、あるいは聞いて理解し、それについてフランス語で考え、フランス語で自分の意見を表現するという、言ってみれば中学や高校の国語のような授業。テーマも様々で、文化的なことや社会的なこと、自分の内面についてなど、普段あまり深く考えないようなものも多いから、なかなか簡単にはいかない。でもこうなってくると、少し違和感が出てくる。まだ日常会話さえ満足にできないのに、こんな高度な内容をやってもなあ・・・という気がするのだ。まずはフランス語で問われていること自体を理解するのが大変だし、言葉の問題というよりは、テーマに対する知識や思考の問題になってくる。

先週末、さっそく1回目のテストがあったのだけど、まあ散々だった。聞き取り1問、読解1問、作文、会話のすべてで3時間だったのだけど、下のクラスにいたときは1時間以上余っていたのが、制限時間いっぱい使ってもまったく足りない。

苦手の聞き取りはいつも通りとはいえ、もう選択問題はなく、自分で解答を書かなければいけないものばかりだったから、ほとんど白紙。得意のはずの作文もぜんぜん点数がもらえず、赤字がいっぱい。作文の課題は普段から多いのだけど、文法が正しくてもそれは当然のこととして評価はされず、もっとこういう言い方をした方がそれらしいとか、この単語を使った方が文脈に合う、といったことが指摘される。でもそんなの、分かるわけないのだ。日本語の多様な表現を読むことで獲得してきたのと同じように、フランス語の“書き言葉”もたくさん読んで自分で身につけていくしかない。前に一度、「私の考えを以下に述べます」というつもりで書いた文章が、「役所の文書で使われる表現」と指摘されたことがあった。確かに、フランス語で手続き関係の書類を読むことが多いから覚えていたのだけど、そのニュアンスというのはぜんぜん分からないし、そもそもたくさん読めば感覚として養われるのかどうかも分からない。

ショックだったのは読解で、なんと20点中6.5点。それでも、先生がサービスで加点してくれていたから、本来は5点ぐらい。さすがに、周りのみんなと比べても低かった。自分では読み書きはマシだと思っていたけれど、大きな勘違い。前から薄々気づいていたように、表面的にしか内容がつかめていない上に、一度読むだけでは理解できないから時間がかかってしまう。これは何か、特別な対策が必要なレベル。

残る会話は、1分30秒程度でテーマに対して自分の考えを述べるというもの。テーマは元々アナウンスされていて、「自分の国とフランスの文化の違いについて」。スーパーでレジに列ができているのにレジ係と客がしゃべり続けているとか、電車を待つのに列をつくらないとか、役所の書類仕事が遅すぎるとか、日本と比べてびっくりするようなことはいろいろあるけれど、そういうのは他の人もすぐに思いつくだろうから、選んだのは映画館での体験。このブログでも度々書いているように、昔ながらの映画館はチケットを好きなときに買えないし、それまでは外で待たなければいけない。この辺のことを少し膨らませて話したら、結果は上々。もちろん文法の間違いはあっただろうけど、他が悲惨だった割には平均点がよかったから、きっとこの会話でかなり点数を上げてくれたんだと思う。

というのも、今月の先生はどうも映画の先生のようで、案の定、食いつきもよかったのだ。夏期講習中は映画やモードなどの選択授業はないのだけど、普段は上級クラスの映画の授業をこの先生が担当しているんだと思う。これまでに受けた2つの講座の2人の先生の他に、まだ映画専門の人がいる。あくまでもフランス語がメインの語学学校で、専門性の高い人材をこれだけ揃えているとは、さすがパリカト。質が高いと言われるだけのことはある。ただ、この会話を1人ずつ、テスト中に同じ教室でやっていたので、その声(というか音)が気になって読解に集中できなかった。このことも、悲劇的な結果の理由の一つだろう・・・きっと。

 罫線2

 
授業ではこれまでのように、1人ずつ読まされたり、頻繁に質問が飛んでくることもなくて、先生がずーっとしゃべっている。この人もかなりのベテランで、すごくエレガントに静かに話すのだけど、知識が豊富でなかなか言葉が途切れない。これはこれでまた、フランス女性の一つのイメージ。でも、あまりにも聞いているだけの時間が長いから、気づいたらぼーっとしてしまっている。それと、宿題がものすごく多い。授業でやらない分、宿題では文法の問題がよく出るのだけど、空欄になっている部分を埋めるだけでなく、全文書いて提出しなければいけないから、かなり時間がかかる。そしてその問題文がまた難しい。内容を理解できなくても、機械的に活用させたり代名詞を当てはめていくことはできるのだけど、それをやっても結局意味がないし。あまりにも大変なので、もう自分で大丈夫かなと思うものはやらないことにした。でも、先生も毎日全員の分を採点して次の日には必ず返してくれるから、けっこうな仕事量のはず。

そういえば、先週の授業の聞き取りで、日本の語学教育についての話が出てきたのは笑えた。フランス人の先生が、日本の大学でフランス語の授業をしたときの経験を語っていたのだけど、2時間の授業で生徒たちはまったく発言も質問もせずすごく居心地が悪かった、日本の語学教育は話すことを重視せず“翻訳”ばかりをやっている、という内容に、思わず苦笑い。こんなインターナショナルな場で授業の題材になってしまうぐらい、日本の教育って特殊なのだ。それに慣れた状態で勉強している結果がこれだから、少なくとも実用的な学習方法でないことは実証済み。ただまあ、今の問題はそれとは関係ない。壁の高さをあらためて実感するとともに、何かちぐはぐな感じがしていて、何をやったらいいのかまた分からなくなってきた。この講習ももうしんどいのだけど、終わるまではなんとか気力を保とう。

 

テキスト
この分厚い2冊が1カ月分

パリの映画館めぐり⑥

観光客の多いセーヌ川沿いからほんの少し離れた静かな場所に佇む昔ながらの映画館。6区のクリスティーナ通りにあるその名も「クリスティーナ21」は、お気に入りの名画座の一つ。ミニシアターが集まる5区の学生街カルチエ・ラタンからはちょっと距離があり、普段は年配の人が圧倒的に多いのだけど、休みの日には若い人も割と来ている。写真は冬に撮ったものなので、だいぶ寂れたかんじが出ているけれど。

 外観

 
例によってチケットは上映直前にしか売ってくれないので、年末に早く着きすぎたときは0度以下の気温の中、その辺を歩いて時間をつぶさなければいけなかった。今の季節なら、壁にたくさん貼ってある上映作品のフライヤーを見ながら待つのも楽しい。
 

 
上映室は1階に一つと地下に一つ。特に地下の方はかなり広くて、スクリーンも大きい。この上映室にあるトイレはすごく小さいのだけど、清潔でおしゃれ。ちゃんと男女に分かれているし。そしてプログラムはといえば、ここも本当にバラエティー豊かなラインアップ。特に、誰もが知る名作をかけていることが多く『イージー・ライダー』『フレンチ・コネクション』『第三の男』『女の都』『女は女である』『カサブランカ』『自転車泥棒』などなど、映画史に残る数々の作品を初めて、またはあらためて見ることができた。映画館めぐり③の「ル・デスペラード(現在は「エコール21」に改称)と姉妹館のようなのだけど、上映作品はぜんぜん違う。

映画に大きな関心を持ち続けているフランスだけれど、この背景には独自のシステムがある。以前にも少し書いた通り、国が映画産業のために一定の予算を出しているのだ。この仕組みについては春学期の映画の授業で詳しく学ぶことができて、大きな収穫の一つになった。

資金助成を行っているのは、1946年に設立されたフランス国立映画センターCNCという文化省管轄の組織。助成の原資は映画の入場料やテレビ局の売り上げなどで、映画入場料には、CNCに拠出される付加価値税TSAが含まれている。つまり、映画館へ行けば自動的にフランス映画界に資金面で貢献することになるのだけど、私のように毎月一定額を払うと見放題になるカードを持っている人も多いから、この辺りがどういう仕組みになっているのかはよく分からない。支援は映画製作者に対してだけでなく、興行や映画普及といった取り組みに対しても行われるので、常に商業的でない映画が生まれ続け、多様な作品が上映され続け、観客が興味を持ち続けられる環境が整っているといえる。こういうシステムは日本にはもちろん、他の国にもなかなかない。

それにしても、戦後間もない時期に映画を文化として保護しようとする意識があったのはさすが。日本もこの時期には映画大国だったはずなのに、今は何とも残念な状況になってしまっている。とはいえ、最近は若い人が映画館に行かなくなっているのはフランスも同じ。パリにいて映画館に通わないなんてもったいなすぎる。外国人であることは気にせずどんどんフランス映画界に貢献して、この文化を絶やさないようにしなければ。

 
参考:FIPA JAPAN「フランス国立映画センターCNC『振興政策の核となる自動助成』映画産業の基盤を支える」

 

通り
近くの通りにはパリらしい風情が

 

記事のタイトルまたは日付をクリックすると、コメントしていただけます。

一段階、レベルアップ

パリの夏は涼しい。もう8月なのに、30度に達する日がすごく少ない。特に、7月中旬以降はほとんど毎日のように雨が続いていて、長袖の上にジャケットを羽織らなければいけない日もけっこうある。暑くなると分かっていても朝は寒いから、ノースリーブの出番もなかなかない。湿気がないのは大歓迎だけど、夏好きとしてはもうちょっと気温が上がってほしいところ。

 夏空

 
さて、7月の夏期講習はあっという間に終了。B1-2のレベルではこの1カ月しか受講していないのに、なんとB2-1に上がってしまった。パリカト(パリ・カトリック学院)はレベル分けが厳しくて、飛び級や進級も難しいと聞いていたのだけど、実際にはみんなどんどんレベルアップしている・・・というか、させられている。確かに、ちょっと上のクラスで必死についていく方が刺激にはなるし、パリカトは同じレベルでも他の学校より少し内容が難しいらしいので、その分、上達も早いのかもしれない。ただ、私のようにある程度自分で文法を勉強してきた人はまだいいものの、習っていないことがどんどん出てきてついていけないと言っている生徒たちもいるから、最終的にどのレベルを選ぶかは本人の判断になる。

この1カ月で感じたことは、他の生徒もしゃべるのはあまりできていないのかなということ。もちろん人にもよるし、自分はその中でもダメな方なのだけど、プレゼンなどでじっくり聞いていると、みんなスラスラとは話せないし、時制や冠詞もかなり間違っている。そもそもフランス語は複雑だから、正しくしゃべろうとすると必然的にゆっくりになるはずなのだ。ただ、聞き取りや文法の理解度に関しては、同じレベルでもけっこう差があるような気がする。聞き取りは完全に欧米の生徒が優位に立っていて、答え合わせの様子を見ている限り、彼らはほぼ全部聞けているんじゃないかと思う。ただその分、文法はひどい。すごく初歩的なものでも大きく間違っていたりするから、やっぱり学習方法によって語学の習得具合というのはだいぶ変わるんだなと実感。面白かったのは最後のテストで、私を含む大部分の生徒は制限時間3時間いっぱい使っても足りないぐらいだったのに、アメリカの生徒たちは2時間~2時間半ぐらいで終わって次々教室を出ていった。どうやったらそんなに早くできるんだろうか。不思議。

1カ月だけの短期とはいえ、キャンパスでは知り合いの先生たちを見かけることも多くて、特に去年の秋学期、今年の春学期に取っていた映画の授業の先生たちと会えたのはうれしかった。たまたま、この2人が一緒にいるのを見たことがなかったから、もしかしたら仲が悪いのかなと勝手に想像したりしていたのだけど、休み時間に春学期の女の先生(この先生はメインの総合フランス語の先生でもあった)と久しぶりに再会、ちょうどそのとき『愛のコリーダ』をパリの映画館で見たばかりだったのでその話をしていたら、秋学期の男の先生が「僕の授業でオオシマナギサの話が出てきたの覚えてる?」と入ってきて、3人で会話するかたちに。大好きな2人が話しているのを初めて見て、そのやり取りがおかしく、映画という部分で2人どちらもが私を特に覚えていてくれたこと、その日はすごく天気がよくて場所が気持ちのいい中庭だったことから、時間にすればほんの1分足らずのこの瞬間が素直に楽しくてうれしくて、子供のころの幸せな思い出のように、その日は何度もこの場面を思い返してしまった。でも、この先生たちも8月からバカンスに入ってしまい、普通に考えればもう二度と会うことはない。特に秋学期の先生とは学校ですれ違うことが多く、アメリカの生徒ばかりだからイライラすると話してくれるぐらい親しくなれたところだったので、寂しい(ちなみに、アメリカ人だから、というわけでは決してなく、このときの“やっかいな”生徒たちがたまたまみんなアメリカ人だったそう)。

 罫線

 
それにしても、毎朝9時からなのに、みんなほとんど遅刻しないのは予想外。約4カ月続く一学期の授業では時間通りに来る生徒の方が少なく、授業もなかなか始まらなかったので、わざとちょっと遅く到着するようにしていたのだけど、起床時間を10分早めた。ずっとここで学んでいる生徒とこの期間だけのために来る生徒では、やっぱり気合の入り方が違う。今週末からは早くも8月の講習がスタート。先にB2-1に上がった子によると一気に難しくなるそうだから、またまた不安が続くけれど、最後まで真面目にやらなければ。

 

ジャンヌ・モロー
大女優ジャンヌ・モローの死去はトップニュースに