思いわずらう日々

11月に入ってから急速に気温が下がり、日中でも10度前後が普通になった。暖房を使い始め、大阪なら年末ごろに出す分厚めのコートをすでに着ている。サマータイムが終わって夜が始まるのも早くなったし、これからどんどん寒くなっていくと思うと憂鬱だけど、パリにいる以上、この寂しい季節に慣れなければ。
 

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さて、少人数制の語学学校に通い始めて早くも2カ月近く。いろいろ迷いながらも、授業にはきちんと出席している。週単位だから毎週メンバーが変わるし、1クラスが最大7人までと決まっているので、人数調整のために勝手にクラスを移動させられる生徒もいる。クラスが変わるということはつまりレベルが変わることだから、こちらから頼んでもいないのに学校の都合で動かされるのはさすがにどうなんだろうという気がしないでもない。私の場合は最初の1週間がB1、そして1つ下のA2+のクラスに3週間ぐらいいたあと、ある日突然クラスごとB1に変わった。ただ、1週目にいたクラスはこれより上だから、実際にはB2ぐらいだったのかも。まあこの辺はその週の生徒のレベルにもよるので、かなり曖昧。人数が少ないのはいいのだけど、数合わせのために毎週バタバタしている印象はある。個人的には、常にメンバーが変わった方が気分も変わるしそのことで不満はないけれど、システムとしてはちょっと無理があると思う。

とはいえ授業はきちんとしていて、特に今の先生はすごくいい。私より少し若いけれど経験豊富で、韓国で教えたこともあるそう。彼女自身いろいろな国の言葉を学んでいるから、生徒たちに必要なものや足りないことをとてもよく分かっていて、効果的な授業をしてくれる。短いプレゼン、漫画を見てストーリーを作る、テーマに沿った意見交換、または全員での議論など、パリカトで今年の春学期に習っていた先生の授業とすごく似ている。この先生は最高だったから、同じような感覚を持った先生とここで出会えたのは本当にラッキーだ。すでにこの学校で3人目の先生なのだけど、間違いなくこの人が一番。

素晴らしいのは、生徒たちが話すのを聞きながら間違っている箇所をすべて指摘してくれること。これって当たり前のように思うけれど、実は少人数であっても全員について細かいところまで直してくれる先生はなかなかいない。会話重視の学校のはずなのに、これには大いに不満を感じている。レベルによっては、文法よりもまずは発言することが大事な場合もあるし、細かい部分より大意が伝わることを重視する考えがあるのも分かるのだけど、この先生は洗練された話し方ができなければいけないという哲学を持っていて、それを目指した授業をしてくれる。生徒の側としても、こうやって小さなところまでいちいち全部指摘してくれるのは、まさに理想的。直してくれなければ、いつまでも間違ったまましゃべり続けてしまうことになるし、実際にこの先生も語学留学していたとき、ある人が指摘してくれるまで誤った表現を1年間使い続けていたと言っていた。そんな経験があるからこそ、こちらの気持ちをよく理解しているのだ。

それにしても驚いたのは、私よりはるかにペラペラしゃべっている他の生徒たちが、先生によるとまあみんな見事に間違いだらけだということ。文法を知らないわけだから、その辺は適当なんだろうなと思ってはいたものの、予想をはるかに超えるレベル。私も含め他の生徒たちは聞いても気づかないけれど、フランス人にしてみたらまったく文章の形になっていないらしい。間違いを恐れずにしゃべれるというのはうらやましい一方で、ここまでくるとやっぱり文法をきちんとやらなければいけないなと思ってしまう。

この先生は発音のスペシャリストでもあるそうで、授業中に発音の練習もよくやる。発音なんて悪くても、言いたいことが伝わればいいという人もいるけれど、フランス語の場合、数種類の「エ」や「オ」があるし、本来の発音とは異なる発音をしてしまうことでまったく別の意味になってしまったりするから、ものすごく微妙だし常に気を使わなければいけない。以前から、フランス人以外のフランス語は聞き取れないということをずっと思っていてこのブログでも何度か書いているけれど、いまだにそれは続いている。つい最近、南米出身の生徒のプレゼンがあったのだけど、この人はまったくフランス語の発音じゃなく、3分間ほどの内容がほとんど理解できなかった。日本の生徒は同じように、フランス人以外のフランス語は聞き取れないと言うのだけど、なぜか他の国の生徒はみんな分かっているようで、これも解けない謎の一つ。

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実は、私はこのクラスにしてはちょっとレベルが高いようで、この先生になってすぐに上のクラスへ移動するよう勧められた。確かに、他の生徒と比べるとかなり基礎が身についているなと感じるし、おそらく語彙もだいぶ多い。上のクラスとはつまり、1週目にいたクラスなのだけど、ものすごく悩んで結局変更せず、でも今も悩み続けている。

この学校に来た目的は会話のレベルを作文のレベルまで上げることだから、いったん読み書きや文法の勉強は休んでもいいかなと思っていたのだけど、さすがに授業の内容がほぼ理解できていることばかりなので、時間がもったいないし不安になる。だって、自分が一番よくできる状態なんておかしいのだ。先生も「あなたはフランス語の構造をとてもよく理解しているし、動詞の活用もほぼ完璧。発音もまるでフランス人みたい」と毎日のように褒めてくれるのだけど、うれしい反面、上のクラスにいくよう勧められながらここにとどまっていることを知っている生徒もいるから、それをよく思わない人もいるかもしれないし、自分にとって簡単なのは当たり前なのに答えすぎるのも悪いかなと変な気も使ってしまう。まったく、上のクラスにいけば周りのレベルにひるんでしまい、下のクラスでは空気を読んでしまうって、本当に典型的な日本人だ。

なぜ上のクラスにいくのをためらっているかというと、一番の理由は先生。1週目にこのクラスの授業を受けて先生にいい印象を持てなかったので、2週目からレベルは下がったものの、正直この先生じゃなくなってほっとしたのだ。授業自体はしっかりしているし、たぶん頭もいいんだろうけど、相性が合わないというか、人としてあまり好きじゃないタイプ。そしておそらく、向こうも同じように感じているんだろうなということが分かる。小さな学校だから先生があまりいなくて、ずっとこの人が同じクラスを担当しているというのがやっかい。

2週目からレベルが下がったのは人数調整のためなのかずっと疑問に思っていたのだけど、実際にはこの先生が判断したのだと最近になって分かった。授業の内容自体は別に難しくなかったのだけど、確かにぜんぜんしゃべれなかったから仕方ないとはいえ、一言の説明もないのはどうかなと思うし、もしかしたら私を避けるためにクラスを変更させたのかもしれないと勘ぐってしまうぐらい、この人との相性の悪さを感じている。でも、だからといっていつまでも今のクラスにとどまっていることが有効なのかどうかは迷うところ。いい先生に当たっているから、わざわざ変える必要もないのだけど・・・。結局、フランス語を使って何がしたいのかという最終目標が明確じゃないから、答えが出ないままずっとこの辺りのレベルでうろうろしているような気がする。

正直、レベルよりも人数の方が重要なのだ。前の2人目の先生のときに一度、本来3人の授業のはずが他の2人が同時に休んだため私1人だったことがあり、1時間半先生を独占して会話し続けるというチャンスに恵まれた。小さな学校ならではのメリットだけど、かと思えばイレギュラーで8人いる週なんかはほとんど順番が回ってこないし、それならこの時間に新聞記事でも読んでいた方がよかったなという気になってしまう。文法の練習問題はもうやっても意味がないから、とにかく口頭で“使う”練習をしたいのだ。会話は学校で習うものじゃないって言う人もいるけれど、私にしてみれば会話こそ学校でやるものであって、それ以外はいくらでも一人でできると思う。だって、しゃべれないのに現地の友だちなんて普通はできないのだから。

ただ、この学校は会話を重視している一方で、読み書きに関してはあまり伸びないんじゃないかなという気がする。前に通っていたパリカト(パリ・カトリック学院)と違い、大学に入ることを目指しているような人はあまりいないから必要ないのかもしれないけれど、どうしても一方を取れば一方がおろそかになってしまうことは避けられない。作文や発音などの専門授業もあるものの、これは別料金。今の先生は宿題をけっこう出すし、中には作文もあるので、パリカトで習った難しい単語や表現を使うようにしているのだけど、ここにしか通ったことがない人はそもそも書くこと自体が大変だと思うし、もちろんパリカトのような映画の授業なんてない。そういう意味では、やっぱりパリカトはカリキュラムが豊富だし、フランス語を使って世界を広げることを可能にしてくれる。ただ内容が難しすぎるから、趣味でフランス語をやっている生徒の中には転校したいと言っている子もいた。

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少人数制になってしゃべる機会は格段に増えたけれど、やっぱり議論のような授業になると、どうしても欧米の生徒たちに勝てない。この学校は社会人が多いこともあって、みんな自分なりの考えをしっかり持っているし、あらゆるテーマについてとりあえずの文法でどんどん発言する。私は普段、一番しゃべれると言われているのに、こういう場面になると形勢逆転。考えをまとめるのにも時間がかかる上に、みんなが侃々諤々と意見をたたかわせている中に入っていくことができない。結局、しゃべれるといってもそれは単に文法的に正しいということであって、本当の意味で言葉を使えているということじゃないのだ。

これもずーっと悩み続けていることだし、多くの日本人が悩んでいることでもあると思うのだけど、発言する文化の中で育ってきた人たちとはこうも違うものかと毎回痛感させられる。人の意見に反論する、それを受けてまた別の視点で意見が出てくるという、途切れることなく続くその流れを見ているだけで感心してしまうぐらい、本当にみんなアクティブ。こういうときは少人数にもかかわらず、気づいたら30分以上、自分だけ一言も発していないということになりがちで、落ち着いたところで先生に促されて初めて発言するっていう、社会人としてはなかなか情けない展開になってしまう。

寡黙を重んじる日本の文化の中で生きてきたということもあるけれど、それは言い訳で、どちらかといえば性格の問題だからさらに難しい。日本語でも4人以上になるとほとんどしゃべらないのに、それを変えろと言われてもなかなか簡単にはいかないのだ。仕事だと思うか、積極的な自分を演じるか、何か手段を考えなければ。パリカトで出会った中には大人しいアメリカ人もいて意外だったのだけど、彼らも意見表明が求められる文化の中で苦労しているんだろうか。

大人になってから語学を学ぶというのは本当に難しくて、いろいろなことを考えさせられる。例えば、定番のロールプレイングをこの学校でも以前やらされたのだけど、自分が医者や店員やホテルの従業員になってフランス語で対応することなんて100%ないのに、それをやることに意味があるんだろうかと思ってしまう。無駄ではないにしろ、必要でもない。また、ランダムに指定されたキーワードと文法を使いながらストーリーを考える授業では、ストーリーを作ることにとらわれてしまって肝心の文法が使えないということが起こったし、一番複雑だったのは、それこそフランス語での議論の仕方を勉強する授業。グレープフルーツとバナナのどちらが優れているかというのがテーマで、それぞれの特長と欠点を挙げながら結論を導いていくことは確かに方法としては合っているのだけど、そもそもこのテーマについて深く考える必要があるんだろうか。このとき同じクラスだった日本人の女性と、議論のための議論をやっても意味がないんじゃないかと話し込んでしまった。

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まあいろいろ問題はあるにせよ、やっぱり語学の勉強は少人数でなければいけないなと感じている。ただ、確かにしゃべるのは少しずつマシになってきているのかもしれないけれど、聞き取りは相変わらずで、文法も語彙力もレベルはこちらが一段高いはずなのに、みんなの方が理解できているのはなんでなんだろうか。また、一つひとつの細かい文法は分かるのに、難しい長文を読んで大意をつかむということに関しても、他の生徒の方がよくできる。この場合は特に、似ている単語を多く持つ英語圏やイタリア・スペイン語圏の人たちが圧倒的優位。きっと単語から意味を類推できるんだと思う。

これらの言語がフランス語と同じような構造をしているということも、彼らにとっては理解を助ける大きな要因。英語やフランス語を日本語にするには後ろから訳していくことが必要で、個人的にはこれに悩まされていることはないのだけど、瞬間的に理解していくのはなかなか難しい。話す場合にも、日本語で頭に浮かんだことをフランス語にするにはまず主語を何にするかということから考えなければいけないのに対して、同じ構造の言語を話す人たちは、極端に言えば単語をそのまま置き換えるだけでうまくいく場合がある。最初からアドバンテージがあるのだから、特定の分野において彼らの方が優れているのは、ある意味当たり前なのかも。何かを言いたいと思ったとき、すぐに表現が出てこないことは今の自分の大きな課題の一つだから、そこを自動的にある程度クリアできているというのは本当にうらやましい。

ところで英語といえば、この学校はそもそも欧米人が多く、それ以外の国の出身でもほぼみんな英語をしゃべれるので、休み時間になると英語で会話が始まる。はっきり言ってうっとうしい。特に今週のクラスは、私以外全員、英語を日常的に使う人たちばかりだから、みんな楽しそうに話しているのに何を言っているのか分からないし、フランス語は一番できるのになんでこんなに卑屈にならなければいけないんだろうと思ってしまう。

それから、先生が英語で説明するのにもうんざり。今の先生は、英語だけ利用するのは不公平だし、フランス語のニュアンスをそのまま翻訳することはできないといつも言っているのだけど、どうしても授業中に英語で質問してしまう人がいて、そういうときは先生も英語で答えてしまう。1週目の相性の悪い先生に至っては、みんな分かっているのにわざわざ英語やイタリア語やスペイン語に置き換えることが頻繁にあって、マルチリンガルであることを自慢したいんだろうかと思ってしまうぐらいだった。そもそも全員が英語をできるかどうか確かめもせずに安易に使いすぎだし、それなら日本語でも説明しろよと言いたくなる。この辺り、最終手段としてしか英語を使わないことを徹底していたパリカトの先生たちとはだいぶ意識が違う。まあそれにしても、もう少しアジアの生徒が増えてくれれば居心地よくなるのだけど。

 

リュクサンブール公園
パリの秋はあっという間

4件のコメント

  1. こんにちは

    今回も興味深く拝読しております。

    やはり言葉を学ぶ過程では、いろいろ壁に当たるものですよね。

    特に先生との相性。これ大事ですよね。
    お気持ちよく分かります。
    私も学生時代、フランス語の授業が好きになれなかったのは
    先生が高圧的で嫌味っぽい人だったためだと今でも思っています(笑)

    日本人がなかなか発言できないという問題は、もう永遠のテーマですよね。
    これは文化と教育の違いが大きいと思います。

    克服方法は、あらかじめ意見を紙に書いておくとか、とりあえず一言だけ感想を言ってみて
    そこから相手の反応を待つとか、いろいろあるらしいですが、その中から自分に合うものを
    見つけていくしかないのかもしれませんね。

    1. コメントありがとうございます。
      言語を学ぶことは言葉そのものを勉強することだけではないんですよね。こちらに来て、だんだんとそれを実感するようになりました。
      幸い、今の学校は好きなクラスを選ぶことができるのですが、本当に先生によって意欲も上達具合も大きく変わりますね。
      発言できない点についてはもはや言葉の問題ではなく、おっしゃるように文化と教育の違いが大きいので本当に難しい。私も今回、この記事を書きながら、日本と欧米の教育制度を比較する文書をネットで読んだりしていました(笑)。社会人なので教育のせいばかりにもできないのですが、とはいえ小さいころから染みついた習慣というのはなかなか変えられませんね・・・。

  2. aventureさんの通われている学校、アジア人が本当に少ないんですね。
    既にパリ10区の学校に申込んでしまった…。ちょっと後悔。

    フランス語を学び、最終目的は何であるか、、、
    「目標、目的が無く留学して意味あるの?」って日本で尋ねられました。私の場合、単純に「現地で常にフランス語に触れていたいだけ」でした。
    そんな返事に、賛同する人もいれば、「意味わからない」と言う人もいますよね。それは色々な意見があっていいのですが…
    ただ渡仏してみて、「触れる」と言っても、学校の授業はフランス語を学ぶ外国人ですし、1人住まいゆえ、帰宅すれば静寂が待っています。週末に発する言葉はbonjourくらい。それさえ無い日も多々あります。
    確かに、外に出れば路上で、スーパーで、至る所で耳に入るのはフランス語。当たり前ですが。
    渡仏前には、もっと充足感に満ちたフランス生活を想像していたけど、難しいですね。
    少なくとも私の場合は内気な性格ゆえ、余計に…
    1月から通うパリの学校は、少人数制。プラス料金でマンツーマンの授業も申し込みました。
    ノルマンディーで過ごす今は、時間の経過が物凄くゆっくり感じますが、パリ生活はあっという間かな。楽しみです。

    1. こんにちは。
      フランス語に触れていたいから留学、まったく問題ないんじゃないでしょうか。私は人と同じ人生なんてつまらないと思っている人間なので、他人の意見は聞き流していますよ。ただ、自分の中で目的が明確になっていないと、せっかくの留学生活が中途半端になってしまうなということは感じています。
      確かに、生活は地味ですよね。私の場合はちょっと変わっていて、日本でも一人で生きていくことが普通なので慣れてしまった今は何ともないのですが、同時に親しい友だちもいないままここで長く暮らすのは難しいと思っています。
      学校は私も2つしか知らないので、どこがいいのかは分かりません。ただ今の学校は、旦那さんの転勤でパリに来たという主婦が多く、それなりに生活レベルの高い人がけっこういるので、その点は以前に通っていたパリカトとは違いますね。そのことが授業や勉強に影響するわけではないのですが、自分はどちらかと言えばパリカト寄りだなと感じます(笑)。
      マンツーマンの授業が受けられるなんてうらやましいです!ぐっぽさんに合った学校だといいですね。

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