バカンスの季節

フランスは世界に冠たるバカンス大国。有休は年に5週間で、ある調査によれば消化率は100%(ちなみに日本は先進国中、最下位)。年度末でもある夏はフランス人がこぞって休みを取る時期で、8月のパリには観光客しかいないと言われるのは象徴的。テレビはゴールデンタイムにドラマの再放送、いつものニュースキャスターも1カ月ぐらい見かけないし、帰ってくるとみんなそろっていい色に焼けているのには苦笑いを通り越して感心してしまう。フランス語でバカンスは「des vacances」と常に複数形で、「vacancier=休暇を楽しむ人」という単語もある。
 

カフェでの読書

 
その長い休みをどこでどうやって過ごすかというと、旅行でもなく、家でごろごろでもなく、南仏の海辺や緑にあふれた田舎でのんびりするのが定番なんだそう。夏だけ使う別荘を持っている家庭もけっこうあるらしく、期間が長ければ長いほどその別荘で何もしないゆっくりとした時間を楽しみ、余った休みで外国を旅行すると話してくれたフランス人もいた。確かにフランス映画にはバカンスを描いたものが多いし、夏の太陽をたっぷり浴びながら自然の中で遊びまわる子供たちの姿もよく登場する。
 

風船と少年たち

 
この時期になると毎年、バカンス先として人気の町や村などがニュース番組で紹介されるのだけど、同時に留守中の家の管理、ペットの世話など、きっとバカンスに出かける人たちにとっては“頭の痛い”問題であろう話題も取り上げられる。長ければ1カ月間、地域一帯どころか国中の家庭が一斉に家を空けるという日本ではありえない状況の中、実際に空き巣も増えているらしく、ペットを預かる業者やアルバイトも需要が多いとのこと。

このバカンス文化の徹底ぶりは、8月のパリを歩けばすぐに感じることができる。お店が文字通り、軒並み閉まっているのだ。本屋やパン屋、不動産屋といった、特に夏という季節が重要でない店はもちろん、サマータイムで遅い時間までテラス席がにぎわうはずのカフェも、まさに書き入れ時であるはずのアイスクリーム屋も、観光客の期待を裏切って遠慮なく休む。といっても全部の店が閉まるわけじゃなく、観光地のレストランやみやげ物屋はやっているけれど、そこを外れて住宅街に近い通りをちょっと歩けば、各店の入り口にバラエティー豊かな夏休みのお知らせを見つけることができる。短くても2週間は休業するのが一般的なよう。
 

 
また、閉めている間に工事をする店も多く、こういう光景もフランスの夏の風物詩。
 

工事中のカフェ

 
一方、パリではこの季節、セーヌ川沿いに「パリ・プラージュ」が現れる。プラージュは海辺という意味で、要するにセーヌ川を海に見立ててパラソルで夏らしさを演出し、海岸にいる気分を味わおうということらしい。日本にいるときからこの企画は知っていて、そんなに海が恋しいのかと半分あきれていたのだけど、つい先日まで一度も実際に見たことがなかった。この日はあいにくの曇り空で肌寒かったのだけど、暑い日には水着でくつろぐ人もいるみたいだから、いろいろな事情でバカンスに出かけることができないパリっ子もここで夏を満喫できるのかも。
 

 
20代のころ、フランスでは2週間未満の休みは休みではないというような日本の新聞のコラムを読んで衝撃を受けた覚えがある。フランスがバカンスの国だというのはよく知られているけれど、本当にこんな感じで社会の動きが止まるのだ。最初、まさかスーパーまで閉まるのかと不安だったのだけどさすがにそんなことはなく、日常生活には支障なし。ありがたいことに、ほとんどの映画館もちゃんと開いているし。不便と言えば、毎週発行のパリのイベント冊子が、近所のキオスクが一斉に閉まってしまったため手に入らないことぐらい。
 

罫線

 
日本にいたときは、休みが取れるかどうかは働き方の問題だと思っていたし、実際“働き方改革”なんて言われているけれど、働き方は、つまり生き方だ。最近ではだいぶ世間の意識が変わってきたとはいえ、日本ではまさにこの時期のお盆や、お正月、ゴールデンウィークでさえまだまだ1週間以上の休みを取ることは難しく、たったの3日でも有休を続けて取るなんて夢のような話。たとえ仕事はどうにかなったとしても、周囲の雰囲気がそれを許さない。

毎日残業して年に1度の海外旅行さえかなわず、仕事(会社)にすべての時間を捧げる人生と、平日もプライベートを大切にし、さらに毎年必ずある長い休暇でたっぷりリフレッシュできる人生。価値観は様々だとはいえ、どちらが人間らしく、充実しているかは考えなくても分かる。好きなことをする時間もないなら、何のために生きているのか分からない。老後だけを楽しみに何もかも犠牲にして働くなんて、やっぱりおかしいのだ。人生は自分のためにあるのだから。

曜日や季節に関係なくいつでもほしいものが手に入り、必要なサービスを受けられる日本は、利用する側にとっては便利な一方で、働く側は休めないというジレンマを常に抱えている。日曜にスーパーが閉まることさえ不便に感じてしまうけれど、それが普通になればそのうち気にならなくなる。休むことが前提で、その間は仕事がストップしても仕方ないという意識を社会全体で共有できなければ、個人単位でいくら頑張ったところで上司の命令には逆らえないし、クライアントの要求は断れない。結局は考え方を変えることが一番の近道なのだけど、同時に一番難しいことでもある。まあそのうち日本でも年に3日ぐらいは(強制以外の)有休を取れるようになるかも……っていうのは、楽観的すぎる?

 
これを書いている途中、まさに同じテーマの面白い記事を発見:
長い夏休み中「フランス」社会はこう回っている(東洋経済オンライン)

 

休業中のカフェ
平日の明るい時間にもかかわらずこの通り

パリの映画館めぐり⑨

映画を見に行くことがすっかり日常になってしまったパリでの生活。もはやユニークで小さな映画館が珍しくなくなってしまい、このシリーズもしばらくストップしていたのだけど、久しぶりに新しい場所を見つけた。13区にある「レスキュリアル」(ホームページでは「L’ESCURIAL」と定冠詞が付いている)。
 

エスキュリアル外観

 
大通りにありながら目立たず、言われなければ気づかないぐらいの控えめな佇まい。近所に住んでいるのでもなければわざわざ行かないようなこの映画館をなぜ見つけたかというと、まさに今住んでいるアパートの近くにあるから。歩いて行ける距離に映画館はいくつかあるけれど、たぶんここが一番近い。それでも、いつもはあまり通らない場所なので、1年前に引っ越してきてからすぐに気づいたわけじゃなかった。そして、最初にその外観を周囲の景色とともに眺めたとき、思い出した。この映画館、ずっと前から知っている。たぶんもう2年以上前、13区を散策した日の終わりに偶然見つけた映画館に間違いない。そのときは中には入らなかったのだけど、そのポップなルックスとは対照的になんとなくひっそりとした雰囲気があったのをよく覚えている。こんな形で再会できるとは!

ただ、ここはプログラムがいまいちで、それが近所にありながら最近まで足を向けなかった理由。旧作も新作も両方バランスよくやっているみたいだけど、フランス映画は少なく、もちろんアメリカ映画も珍しく、フランス以外のヨーロッパ映画が多い印象。上映作品リストを見ても、監督も俳優もなじみのない名前が多く、あまり心を引かれない。でも、入ってみたいなとは思っていて、ついにそれを叶えてくれる作品が現れた。イギリス・ロシア・フランス合作の『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』、フランス語でのタイトルは『ヌレエフ』。バレエ史にその名を刻むルドルフ・ヌレエフの半生を描いた作品で、日本ではだいぶ早く去年に公開されていたよう。バレエ好きとはしては見逃せないと、胸を躍らせて出かけた。
 

ヌレエフポスター

画像引用元:allociné

 
上映室は2つあるようで、案内されたのはおそらく大きい方。入ってみてびっくり。広い!パリの小さな映画館ってどこもそうだけど、中に足を踏み入れるとこぢんまりした外観からはとても想像できないゆったりとした空間が広がっている。壁にたくさん飾られた銀幕のスターたちの写真も雰囲気たっぷり。それと、ここはスクリーンが半円形になっているのも特徴的。中心部に向かって左右から奥まっていくフォルムになっていて、こういうのは他にあまり知らない。でも、特に映画が見にくいということはなかった。
追記:こういう曲面スクリーンは映画館ではポピュラーらしく、カーブがあることで逆にゆがみがなくなってきれいに見えるのだそう)
 

 
映画は期待以上で、大満足。そして見終わった後、気づいたことが2つあった。

1つは言葉について。正確には覚えていないのだけど、この映画では確かロシア語、英語、フランス語が話されていた。旧ソ連出身であるヌレエフをはじめ、英語ネイティブでない人たちが話す英語は一語一語はっきりと発音されるので、すごく聞きやすい。ところが、フランス語は逆にネイティブの発音でないと聞き取れない。これはきっと、自分の耳がフランス語に慣れているからというだけではなく、日本人にとってのそれぞれの言語の音が原因なんだと思う。

このブログでもすでに何度か書いているはずだけど、日本人は割とフランス語の発音が上手な人が多く、ネイティブ以外のフランス語は聞き取れない。これは、フランスに来て出会ったほとんどの日本人に共通する現象だから、おそらく一般的な日本人の傾向と言っていいと思うけれど、やっぱり音に関しては英語よりフランス語の方が日本人にとってなじみやすいんだろうなと想像できる。今はほぼ英語を聞いていないというのもあるけれど、自分にとっても英語のリスニングの方がはるかにハードルが高い。

もう1つは、これは映画を見てというより、日本語のレビューを見て気づいたことなのだけど、パリの街について。この映画はヌレエフの少年時代、青年時代、そして23歳になった現在の3つの時間軸で構成され、しかもそれが時系列に描かれるのではなく、3つの時代がランダムに現れる。彼の生い立ちや人柄、置かれた状況が各時代のエピソードによって徐々に明らかにされ最終場面につながっていく演出は、個人的にはドラマチックで効果的だと思ったのだけど、レビューを読んでいると「分かりにくい」という意見がけっこうあった。

確かに、少年期は明らかに少年なのだけど、青年期と現在は同じ俳優が演じていて見た目もほとんど変わらないから、一瞬どっちだろうと思うことはあった。でも、個人的にはすぐにどちらの時代なのか判断でき、混乱することはなかった。というのも、23歳のヌレエフはパリにいるのだ。それより前、青年期の彼はレニングラードにいて、街並みが明らかにパリとは違う。説明がなくても分かるよう、オレンジ色の煙突が並ぶ屋根などパリの典型的な景色を背景に撮られてはいたのだけど、日本人なら見分けがつかなくても無理はない。街の一部を見てそれと分かるほど自分がパリになじんでいることを思わぬ形で実感した。
 

パリの街並み

 
それにしても、映画のフランス語はやっぱり難しい。ニュースならキャスターの発音もきれいだし、分かるように話してくれるから、以前に比べるとだいぶ聞けるようになったのだけど、ネイティブの速くて文法通りでないしゃべりにはぜんぜんついていけない。フランス語の字幕付きでドラマを見ても音と文字が頭の中で一致していないし、ついこの間見たフランス映画は10%ぐらいしか分からなかった。映画を字幕なしで理解するというのは、実は外国人にとって一番と言えるぐらい高度なことらしいのだけど、とはいえその壁の高さにため息が出る。

一方で、例えば日本の外国人記者クラブで質問する海外の記者も、日本と海外を結ぶ国際線の機内で接客してくれるCAも、日本人からするとやっぱりちょっと変な日本語をしゃべっている。仕事で使っているのであっても、日本人じゃないのだから100%正しくなくて当たり前だし、こっちだってそう思っているので別に気にしない。聞くのはともかく、話すのはそれを前提にどんどん強気でいかないといけないのだけど、間違っていていいと言われても個人的には正確で美しいフランス語を身につけたいので、そこはこだわりたいところ。

3年ぶりの日本で

7月に入ると同時に一時帰国してきた。フランスに来た2016年9月以来初めてだから、約3年ぶり。人に3年と言うと例外なくものすごく驚かれるのだけど、距離と航空券代を考えるとそう頻繁に帰れない。今回は直行便を利用したものの、やっぱり遠かった。
 

シャルル・ド・ゴール空港
シャルル・ド・ゴール空港にて

 
学校も休みに入り、待ちに待った夏がやってきたこのタイミングでなぜ帰る気になったかというと、日本を発つ前にトランクルームに置きっ放しにしてきた荷物をいよいよ整理しなければいけないなと思い至ったから。一人暮らししていたときの家具・家電を含む私物が実家に入らなかったのでまとめて預けていたのだけど、もう3年も使っていないし、このままにしていても無駄に料金だけかかってもったいない。それに、いつ日本に帰るのか、あるいは帰らないのか分からないから、いったん整理して身軽になった方がすっきりするんじゃないかと思ったのだ。

実際に倉庫を開けてみたら記憶の中にあったのより荷物の量が多かったのだけど、さすがは日本の業者、短時間で丁寧に、かつテキパキと仕事をしてくれて、大きなものは処分、服や本は実家の物入れにむりやり押し込み、何とか完了。費用はかかったけれど、ずっとこれらの荷物のことが頭の隅に引っかかっていたのも確かだから、やっぱり思い切って片付けてよかった。

一応、そんな目的があってあまり気が進まずに帰った日本だったのだけど、3週間足らずの滞在は意外に楽しかった。そして、これまでとは違った新鮮な視点で自分の国を眺めた不思議な時間でもあった。
 

罫線

 
散々言い尽くされていることではあるけれど、やっぱり日本ほど安全で便利で快適な国はない。3年ぶりに過ごしてみて一番強く感じたのはそのことだった。電車の中でカバンを開けたまま寝ていても誰もスらないし、役所に行けばものの30分で用事が終わるし(もちろん入るのに予約はいらない)、どこに行っても清潔でクーラーが効いていて丁寧に対応してくれるし。パリではいくら探しても見つからないお風呂場用の髪の毛キャッチャーが100均に何種類もあるのには感心してしまった。

過去に海外旅行先でいろいろやらかしているから日本の治安のよさや快適さはとっくに分かっていたはずだけど、やっぱり旅行と生活は違う。不便さや危険が日常にあることが普通になってしまった感覚で日本に帰ってみると、ほぼ100%の安心感と解放感で暮らせる毎日は、同じ地球上の国とは思えないぐらい。特に、手荷物にはかなり敏感になっていて、一緒に買い物に行った母親がレジに財布を置いたまま支払いをするのを見て、思わず危ない!と反応してしまったほど。こんなのも海外ではあり得ないけど、日本ではまず大丈夫。

それと、当たり前だけどすべて日本語だから、考えなくてもすべて分かる。自分の国にいると意識もしないそのことが、テレビを見ても新聞を読んでも完全に理解できることのない毎日を送っていると、どれだけ素晴らしいことかを実感する。言葉が分かるというのは、本当にすごいことなのだ。もはやフランス語という言語の存在さえ疑わしい日本での日常、ここにいたら一気にフランス語を忘れるだろうなと思ったのも事実だけど。

そして、何と言っても日本の料理。なんて繊細で、種類豊富で、健康的なんだろうか。パリでは魚を手に入れるのが圧倒的に難しいから魚に飢えていて、刺身、煮魚、焼き魚と毎日のように魚を食べ、滞在中ずっと1日3食、白いご飯を食べた。
 

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でももちろん、日本のいい面ばかりに気づいたわけじゃない。例えば、言うまでなく街並みの美しさはとてもパリにはかなわない。新しいキラキラしたビルが乱立するモダンで雑多な日本の都会は欧米人にとっては魅力的なんだろうけど、何百年という歴史を持つ建物があちこちに残るパリと比べると、どうしても軽いのだ。住んでいたときはあまりそんな風には感じていなかったのだけど、次々に建てられては壊されていくビルばかりが並ぶ街は、なんだかレゴで作ったように重みがなく、そのままパカッと地面から外せそうな印象。新しい建物の耐震性は高いはずだけど、きれいなだけで中身はスカスカな感じがする。逆に、古い民家の周囲に田んぼが広がる実家からの風景にパリと同じ重厚感があることに気づいたのも新しい発見だった。
 

機内から見るフランス
機内から見るフランスの風景も味わい深い

 
1年間パリに住んで今年初めに日本に完全帰国した人は、あふれる日本語と過剰なサービスが気持ち悪くて着いた途端、パリに戻りたくなったと言っていたけれど、私は反対。日本の居心地のよさと同時にパリで普段、無意識に持っていた緊張感に気づき、やっぱり日本が最終的に戻る場所なんだなと感じてしまった。パリの日常と日本の日常はあまりにも違い、その違いは別の世界というより、もはや別の星と言いたくなるぐらいの大きさ。

ただ、その違いこそが海外暮らしの面白さだし、それを味わいたいと望んでいるからこそパリで特にストレスを感じることなく生活できているんだと思う。日本に戻れば楽だろうけど、それは今でなくてもいいし、それを選ばなくてもいい。今回、思ったより日本が楽しかったのは、またパリに帰り、パリでの生活が待っているという前提があったからかもしれないし、日本で暮らせばそのうち退屈することは分かっている。何より、世界に誇る快適性を支えるために、またあの無理な働き方をすることは考えられない。
 

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パリに着いた早朝、最寄り駅で降りて見慣れた街並みを目にしたとき、何とも言えない不思議な気持ちになった。迎え入れてくれるような温かさはなく、むしろ帰ってきたと思うことを拒否されるような冷たさと違和感が一瞬あり、それでもやっぱりその美しい佇まいに引きつけられずにはいられない。ここが自分の選んだ街、生まれ育った場所ではなく不自由があっても戻ってくることを選んだ街なんだなと実感した。帰った直後は案の定、少しフランス語を忘れていたのだけど、徐々にここでのリズムを取り戻しつつある。こうなると、日本での毎日が夢のよう。ちょっとした会話を聞き取ろうと必死になったり、日曜の休業に重ならないよう焦って買い出しを済ませたり、常にバッグを気にしながら街を歩いたりと、緊張感が必要ながらも日本にはない新鮮で摩訶不思議な日々がまた始まる。

ただ一つ、気軽に話せる友だちが近くにいるという点では、日本にかなう場所はない。今回、会いたいかった人たちにはちゃんと会えたのだけど、久しぶりだったからなかなか連絡がつかず、全員に縁を切られたのかと一瞬、焦った。実はこの3年間、日本から誰一人会いに来てくれていないし、何でも話せる相手と離れているのはやっぱり寂しい。パリで新しい友だちを見つけなければと思いつつ、1年後には日本に帰る決断をしているかも?

 

大阪のカフェ
大阪のカフェで楽しい時間を過ごす

 

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