パリの映画館めぐり⑪

建物自体にも上映作品にも個性があふれる古い小さな映画館。そんな名画座がパリにはたくさん存在するのだけど、12区にあるこの「シネマテーク・フランセーズ」について書くまでには時間がかかってしまった。というのも、ここは単なるユニークな映画館というだけでなく、“聖地”または“殿堂”ともいわれるぐらい映画史においてとても重要な施設だから。上映はもちろん、映画に関する資料の展示を行う映画博物館でもあり、映画好き、特にフランス映画のファンなら間違いなく知っているはず。以前、パリ12区歩きの記事で外観写真を掲載したけれど、あまりよく撮れていないので、全景がよく分かるものを拝借。
 

シネマテーク外観_RTL

引用元:RTL “Confinement : découvrez “Henri”, la plateforme de VOD de la Cinémathèque”

 
今はこんな立派な建物で政府の援助も受けているとのことだけど、元々は映画好きの青年による小さな上映会が始まりだった。青年の名はアンリ・ラングロワ。ヌーヴェル・ヴァーグについて調べていると必ずどこかで目にする。彼の功績を今回、あらためてきちんと追ってみたので、フランス映画史上重要な出来事も含め、どちらかというと自分のための記録として分かりやすく年代順に整理しておこう。

●1936年 組織としての「シネマテーク・フランセーズ」誕生
ラングロワは私費を投じ、蚤の市などで作品フィルムを見つけ収集。そして、上映と同時にそれらのフィルムの保存や修復を行うため、仲間とともにシネマテークを創設。常設の上映館はまだなく、各地で上映会を開いていたとのこと。

・1946年 第1回カンヌ映画祭開催
本来は1939年のはずだったものが第二次大戦の影響で中止になり、この年のスタートに。

●1948年 シネマテーク常設上映館がパリ8区に開館
60席という小さな規模だったものの、上映は盛況だったそう。また、フィルム以外にもカメラ、ポスター、衣装、台本など、ラングロワが集めたあらゆる映画関連資料も展示。そしてここにゴダール、トリュフォー、ロメール、リヴェットといった後のヌーヴェル・ヴァーグ監督が足繁く通うことになる。

・1951年 映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』創刊
監督になる前のトリュフォーらはまずこの誌面で批評家として活動。

●1955年 シネマテーク、パリ5区に移転
260席に拡大。調べてみたら、普段からよく通る場所だった。

●1963年 シネマテーク、パリ16区のシャイヨー宮に移転
→1972年 「映画博物館」としてオープン
文化としての映画の重要性に理解のあったアンドレ・マルロー文化相が支援。トリュフォー『夜霧の恋人たち』の冒頭シーンで出てくるのがここ。パリ16区歩きの記事で使った写真を再掲。
 

 
●1968年 ラングロワ解任騒動
2月、シネマテーク設立者でもあるラングロワ館長が政治的圧力によって突然更迭され、これに映画人や学生が抗議。請願書にはチャップリンやキューブリックなども署名したとか。ラングロワは4月に復権。

・1968年 カンヌ映画祭中止
学生の抗議運動から労働者によるデモやストに発展し、フランス社会を大きく変えることになった大衆運動、5月革命がカンヌ映画祭にも波及。運動に共鳴したゴダールやトリュフォーらの呼びかけにより中止に。

・1977年 ラングロワ死去

●1997年 シャイヨー宮で火事
当時の写真を見ると建物全体が炎に包まれていてかなり大規模な被害があったようなのだけど、映画関連の所蔵品は無事だったとのこと。この火災から次項12区移転まではけっこう時間があり、その間の詳細は調べたけれど分からなかった。

●2005年 シネマテーク、現在の12区ベルシー地区に移転
当初はシャイヨー宮近くにある16区の現代美術館パレ・ド・トーキョーに移るはずだったのが、最終的にこの場所になったそう。建物の購入及び改装費用5000万ユーロ(1ユーロ=120円として60億円)を国家が負担したとのこと。
 

ゴダール特集ポスター

去年末のアンナ・カリーナ死去後にシネマテークで行われたゴダール特集のポスター

 
現在のシネマテークの上映室はどうやら4つ。中は広く、知らないと迷う。昔の日本映画の特集もしょっちゅうやっているけれど、ヌーヴェル・ヴァーグ到来を告げる1本『大人は判ってくれない』の日本語版ポスターが飾ってあるのはうれしい限り。日本語が読めなくても、シネフィルならこれが誰の何の作品かすぐに分かるはず。
 

 
ただ、実は中に入ったことは2回しかない。そのうち映画を見たのは1回で、もう1回は無料の日に博物館を見学した。というのも、ここは系列映画館で使えるUGCカードが無効で、鑑賞の度に料金が必要だから。1度だけここで見た作品というのはゴダールの『軽蔑』。このときは何かのイベントだったと記憶しているけれど、広い上映室に観客は200人ぐらいと多く、ゴダールのインタビュー映像付きだった。また、博物館の資料コレクションについては膨大で、展示されているのはそのうちの1%のみとのこと。撮影は禁止だったのでHPに掲載されているものから。
 

引用元:CINEMATHÈQUE “LE MUSÉE DE LA CINÉMATHÈQUE”

 
フランス映画史はもちろん、フランスの歴史を語る上でも無視できないシネマテーク・フランセーズ。国家予算で保護されるのも納得。クラシック映画の上映自体は他のミニシアターでも散々やっているから、特にここのプログラムに独自性があるというわけではないのだけれど、個人的に映画、そしてパリへの興味を持つきっかけになり、実際にこの街で人生の一時期を過ごすことになるほどのインパクトがあったヌーヴェル・ヴァーグは強い思い入れのあるもので、その新しい映画表現を生み出すきっかけともなったシネマテークの存在を実感することができたのは大きな体験だった。

今回は映画館というよりも映画史の紹介になってしまい、興味のある人がどれだけいるかは謎だけど、最後に、コレクション管理の責任者を(たぶん今も)務めるローラン・マノーニ氏のインタビュー記事から、ラングロワたちの偉大さを示す言葉を引用しておこう。

(前略)まだ映画が重要な分野と考えられていなかった時代に、彼らは映画が芸術作品であることを理解し、フィルムや資料を保存したのです。当時、映画のフィルムやカメラ、ポスターなどを保存しようと考える人は誰もいませんでした。映画は学問や研究の対象ではなかったのです。(後略)

WWW(メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド)「シネマテーク・フランセーズ」(2011年5月)

 
 
夜のシネマテーク

 

その他の参考記事:
JBpress(ライブドアニュース掲載版)「現代史としての映画史、1968年の新しい波」(2018年6月)
Le Monde “Une époque s’achève à la Cinémathèque française”(2005年2月)

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