外国語を学ぶということ

いよいよ外出制限の日々も残りわずか。さすがにキツイ。たとえ家にこもっているのが好きだとしても、外に出たいときに自由に出られないことがこんなにも精神的に影響するとは思っていなかった。この冬はパリもまったく寒くなくて、つい最近まで本当に毎日きれいな青空が広がり、早くも夏の陽気が続いていたから、ますます散歩が恋しい。週に2回、買い出しに外を歩けば、しばらく前からもう通りの並木はすっかり緑の葉に覆われている。

 
通りの緑

 
閉じ込められている間に、これまでためておいたネタを記事にしようと思っていたのだけど、実際にはいろいろあってなかなか進まない。でも、実質3年ほど集中的にフランス語を勉強してきてたくさんのことを考え、たくさんのことに気づいたので、これは何とかまとめておこうと思う。

■上達には時間と根気が必要

言うまでもないことだけど、外国語は毎日コツコツやらなければ上達しない。それも、3カ月とか3年とかの期間限定ではなく、それこそ一生やり続けないといけない。仕事で疲れたから、休日は好きなことだけしたいからと自分に言い訳していては、その分、確実に進歩は遅くなる。

ここでの「時間」には、「理解」にかかる時間だけでなく「定着」のための時間も含まれている。例えば英語なら、whichという関係代名詞の使い方を早い人なら1回か2回習っただけで理解できるかもしれない。ただ、理解したからといってその後すぐにwhichを見たり聞いたりして分かるかといえば難しいだろうし、作文や会話の中で能動的に使うためには何度も練習して頭の中に定着させなければならない。そもそも「理解」そのものに時間がかかる人ももちろんいる。

もっと分かりやすい例が単語。これは何回も見ないと覚えられない。1日に何回も見るのではなく、日を置いて何度も見ることが必要。つまり、物理的に時間がかかるのだ。語学ができないのを年齢のせいにする人がいるけれど、個人的には年齢は関係なく、センスの問題だと思っている。ただし、こうやって物理的に時間が必要であることを考えると、やっぱり若いうちに始める方が有利ということは言えると思う。

もちろん、語学をやる目的は人それぞれだけど、本気で話せるようになりたいなら、習い事とか趣味感覚ではまず間違いなく高いレベルには達しない。私も語学学校で、フランス語と同じような言葉を母語とする有利な生徒や、積極的に発言することに何の気後れもない生徒を見て情けない思いをしたことは一度や二度じゃない。悔しくて帰って泣いたこともあった。それぐらい歯を食いしばってやらなければいけないぐらい語学は難しいものだと実感している。

その言葉に触れていること自体が楽しくて、あまり上達しなくても勉強そのものが好きだというのももちろんありだけど、忘れるのがもったいないからとか、できた方がいいような気がするからというような消極的な理由で嫌々やるのなら、もうやらない方がいいとまで思うようになった。だって、人生は限られている。貴重な時間を面白いと思えないことに費やして中途半端なレベルで終わるなら、その時間を好きなことに使った方がよっぽど人生は豊かになるはず。これはあきらめではなく、取捨選択というむしろポジティブな考え方だと思っている。

■実践あるのみ

これも当然のことだけど、いくら知識があっても書かなければ書けるようにはならないし、話さなければ話せるようにはなれない。特に、日本人にとって苦手な会話はとにかく練習が必要。

これまでにも何度か書いていると思うけれど、私も含む日本人はほぼみんな同じ症状を持っている。つまり、動詞の活用や単語が出てこなくて話している途中に何度も止まってしまう、自ら積極的に発言すること自体がなかなかできない。これに加えて個人的には、言いたいことが頭の中ですぐにまとめられないというのも大きい。意見を言うときには、結論を考えて、その結論に持っていくまでの筋道を立てて、それをフランス語に直すという3段階を踏む必要があると思っているのだけど、これを瞬間的にこなすという作業は日本語でも苦手。ただ、この辺りはテーマにもよるし、その場の雰囲気や相手との関係性によってもぜんぜん違うから、学校に行っていない最近はあまり気にしていない。

日本人は文法をよく知っているから、その知識が逆に流れるようなしゃべりを妨げているとも言えるのだけど、やっぱり文法は大事。そしてフランス語の場合、発音もものすごく重要。何しろ母音が14もあるから、日本語の「お」に近い「オ」か、唇をすぼめた状態の「オ」かによってまったく意味が変わってしまう。

特に、スペイン語やポルトガル語などフランス語と同じラテン系言語を母語とする生徒の場合、もともとフランス語の基礎を持っているようなものだし、そのおしゃべりな気質も相まってすごく上手に話しているように見えるのだけど、文法と発音がひどいためにぜんぜん理解できなかったりする。いくら本人が気持ちよくしゃべっていても、伝わらなければ意味がない。先生たちがよく言うのは、確かにラテン語圏の生徒は上達は早いけれど、すでに大枠を知っているだけに詰めが甘く、アジアなどの生徒の方が時間はかかっても一度習得すれば完璧なフランス語を身につけるということ。ラテン系の生徒の前ではどうしても気後れして焦ってしまうのだけど、その必要はない。ゆっくりでも正確に積み上げていく方が、結果的には早い。

とはいえ、その正確な構文や単語がスラスラ出てくるかどうかはやっぱり普段の会話の頻度が大きくものを言う。別の記事でも書いたのだけど、個人的に観察した限りでは、フランス人のパートナーがいる人よりもフランス語を使って仕事をしている人の方がしゃべりはうまい。これはやっぱり、普段からある程度正確に話すことを余儀なくされていることが理由のはず。

■国語能力が影響

日本にいるときから何となく感じていたことだけど、こちらに来て実感。日本人なら日本語の読み書き、特に書くことができない人は外国語も苦手としている。もちろん、母語で書くだけなら誰でもできるけれど、この場合はもちろん、正しくきちんとした文章が書けるかどうかという意味。母語でこれができている人というのは言葉に敏感で、文の構造を分かっているから、外国語になっても文法の理解が早い。

パリで学校に通い始めて間もない頃、「マラソンは疲れる」という文章をフランス語で言おうとして「マラソン」を主語にしている日本人の大学生がいた。確かに日本語では主語を省いて表現するけれど、「疲れる」の主語はマラソンではなく、マラソンをしている人。これは少し極端な例かもしれないけれど、文法でつまずく人というのはおそらく、こういうことに自分で気づくことができないのだと思う。この辺りがいわゆる「センス」で、個人的には子供の頃からの読書量が大いに関係していると思うけれど、数学や物理が得意・苦手だとかいうのもたぶん同じ。残念ながら、生まれつき持っているものも大きいんじゃないだろうか。

これはもちろん日本人に限らず、間違いだらけのフランス語の文章を書くフランス人も日本語は驚くぐらい下手。逆に、フランス語での読み書きが好きだというフランス人は日本語も悪くない。一般的にも、外国語のレベルが母語のレベルを超えることはないと言われているし、例えば英語の学習法を紹介する日本語のブログなんかでも、その日本語の文章自体がおかしいものが大量にあるけれど、正確に文法を理解しないまま適当な英語やフランス語をしゃべっている日本人って実はたくさんいるんだろうと思う。本人たちがそれに気づいているのかどうかは大いに興味があるところだけど、日本語の文章をきちんと書けていないと自覚している人は少ないだろうから、本人たちもその辺りはあまり意識しないのかも。

母語の読み書きが苦手な人が外国語全般を苦手としているのは100%確実で、個人的な感覚では例外はあり得ないのだけど、不思議なもので、逆に言葉に興味がある人がみんな外国語も得意かというとそうでもない。日本で何度か所属先を替えながら働いていたとき、どこの会社にも私なんかよりはるかに日本語のセンスに優れた人が周りにたくさんいたのだけど、そのほとんどが英語ができない、それも全然できないということを知り、少なからず衝撃を受けた。やっぱり、外国やその国の言葉への興味というのも関係しているんだろうか。
 

外出できなくても太陽を浴びたいフランス人

 
そして、生まれて初めて留学というものをしてみた感想も書いておこう。

■期間は絶対1年以上

語学上達が目的なら短期間では意味がないし、もったいない。それも、ある程度のレベルに達してからの方がベター。去年の新年度に登録したのはソルボンヌ・ヌーヴェル(パリ第3)大学のDUEFコースで、これはフランス語を使って文学や歴史を学ぶコースなのだけど、本来、留学というのはこのレベルからするものなんだろうなと感じた。初歩レベルのままで行ってしまうと、せっかくの機会なのに、日本でできる勉強を留学先ですることになってしまう。

■自分に合った方法でOK

しつこいけれど、散々苦しめられたのが大人数での授業。大勢の前で、しかもおしゃべりな人たちの前で発言するのは、そういう状況に慣れていない日本人にとって特に難しいし、個人的には性格のこともあってかなりつらかった。でも、結局それは学校にいる間だけのこと。最終目的はクラスメートの前で話せるようになることじゃない。大人数が合わないなら、少人数の学校や個人レッスンを探せばいいのだ。ただし、今後もずっとフランス社会で生きていくなら自己主張の文化に慣れる必要はあると思うけれど。ちなみに、私が大嫌いなグループワークも実際、ほとんど意味がないということは付け加えておこうかな。

■自主的な勉強が必要

日本人が何となく思っている「留学すれば言葉ができるようになる」。あえて言い切れば、これは100%ない。ただ留学するだけで、ただ海外に住むだけで外国語ができるようになることは絶対にない。上達のためには、自分で復習や宿題をしっかりやることが何よりも大切。これをやっている人とやっていない人の差は周りから見て明らかに分かるほど大きい。結局は、どこにいようが苦しみながらコツコツ勉強するしかないのだ。
 

エッフェル塔ライトアップ

 
仏検2級を取った状態、つまりA2とB1の間ぐらいのレベルでこちらに来て3年と8カ月、今のレベルはおそらくB2とC1の間ぐらいで、中級の上~上級の下というところまで達した。今や、英語よりフランス語の方がはるかにできる。普通のフランス人と日常会話のようなメールをするにはまったく問題ないし、時間をかければ小論文も書ける。来た当初、映画はフランス語を聞くよりもフランス語の字幕を見る方が理解できたけれど、今は断然、聞く方が楽。これは、聞き取り力がアップしたということに加え、読むより聞いた方が理解のスピードが速いという一面もあって、自分でも研究中。一方で、話すのはまだまだだし、雑誌や小説なんかはおそらく一生読めない。ちょうどこの禁足期間中に日本文学を集中的に読んでいるのだけど、なんて美しい文章なんだろうとうっとりするこの感覚、フランス語では絶対に味わえないのだ。

結論としては、一生勉強したところでネイティブにはなれない。そう考えると悲しいけれど、生まれたときからフランス語に触れてきたフランス人と同じレベルになれないのは当然とも言える。逆に考えれば、ものごころ付く前から自然に周りにあり、自ら読んだり書いたりすることで深め、磨いてきた日本語を、たった何年か勉強しただけの外国人が習得できるかと言えば無理に決まっているし、そんなに簡単に習得されてたまるかとも思う。だからそこは割り切った上で、それぞれの目標に向かっていくしかない。

フランス語については各段階で感じたことをこのブログでもかなり書いてきて、何度も同じことを繰り返していると思うけれど、自分でも予想していなかったぐらいここまでの過程は濃密な時間だった。知らなかった景色が見え、新しい世界が開けた気がする。もちろんそれは、フランスで多国籍の生徒たちと一緒に学んだからというのも一因だろうけれど、外国語を勉強するというのはそれだけで思いもかけない刺激と彩りにあふれた体験なのだ。ここからさらに上へ向かって階段を上がっていくと、どんな景色が広がっているのだろうか。

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