私の好きなパリ

一般に、海外留学・海外暮らしを経験するには遅いといわれる年齢で社会人生活を中断し、結局4年も住んでしまったパリ。今後の人生にとってリスクが大きいことを承知の上でそれだけとどまっていたのは、もちろんパリが大好きだから。

パリが何より他の街と違うのは、隅々までパリであること。ヨーロッパには古い街並みが残っている都市が多いけれど、たいてい「旧市街」と「新市街」に分かれていて、情緒ある「旧市街」部分はほんの少し。それ以外の「新市街」は高いビルが立ち並び、日本にもありそうなモダンな街並みであることが多い。ところがパリは、20区すべてが「旧市街」なのだ。もちろん、中心部と郊外に接した地域では雰囲気がぜんぜん違うのだけど、それでも一番端まで統一感が保たれていて、どこまで行ってもパリの景色が続く。街そのものが世界遺産、または美術館などといわれるように、全体としてパリだけが持ち得る特別な趣を保っているというのは、私にとってすごく価値があり、また大きな魅力でもある。

そんなパリの中でも、住んでみると特に心惹かれる場所や景色ができた。これまでに何度か書いてきたものもあるのだけど、この夏に帰ってくるまでの4年間で見つけたお気に入りをいくつか挙げてみる。

 

■カフェのテラス
 

カフェ5

 
パリといったらこの光景が頭に浮かぶ人も多いかも。それぐらいパリでは当たり前ともいえる景色なのだけど、テラス席というものがほとんどない日本と比べると新鮮で、同時にとても自然。日差しを浴び、風を感じながら、道行く人とともに街に溶け込んで自分の時間を過ごすという発想。無理せず人生を愉しむというフランス人の価値観を表しているようで、オープンテラスに集う人たちの姿を見ていると、なんだか自由な雰囲気が漂っている気がする。
 

 
実際に自分でもテラス席に座ったことは何度かあるけれど、思った以上に開放的で心地いい。もちろん、私の場合は夏限定だけど。

 

■メトロ6番線
 

メトロ6番線

 
パリの地下には路線網が張りめぐらされていて、電車に乗りさえすればどこにでも行ける。そのたくさんあるメトロの中でも6番線は特に楽しい。なぜかというと、この線は地上に出ている部分が多く、窓外の景色を眺めながら移動できるのだ。

エッフェル塔の近くを通っているから観光客も多いのだけど、そのエッフェル塔の最寄り駅であるビル・アケム(15区)と、セーヌ川を渡った隣りの駅パッシー(16区)の間に見える景色が最高。気品漂うエッフェル塔と賑やかな観光船が行き交うセーヌ川、その向こうには白亜のサクレ・クール寺院。こんなガイドブックみたいな風景がメトロに乗るだけで望めるなんて、なんという贅沢。6番線だけはちょっと料金を高くしてもいいんじゃないかと思うぐらい。
 

メトロから見る景色

 
ビル・アケム駅に東側から向かっていく時の景色も豪華。パリのイメージを体現するオスマン様式のアパートが線路のすぐ側に立ち並び、目の前を流れていくこれらの建物を電車の中から眺めているだけでパリを強く感じられる。
 

 
ここら辺を何度かメトロで通った後、この景色をもっとゆっくり味わいたいと思い、線路の下を歩くというのんびりしたこともやってみた。地上に出ている部分、セーヴル・ルクルブ駅(15区)からビル・アケム駅までは歩くとまあまああるのだけど、楽しい。このコースはかなり気に入って、最終的に3、4回は散歩した。
 

 
6番線はここ以外にも、11区と12区の境目にある東側の終点ナシオン駅に近い線路に地上部分があり、ベルシー駅(12区)とプラース・ディタリー駅(13区)の間、そしてプラース・ディタリー駅でいったん地下に入った後、今後はダンフェール・ロシュロー駅(14区)までの間で外が見える。この辺りは住んでいた5区から簡単に行くことができたから、もちろん歩いてみた。

◆ベルシー駅~プラース・ディタリー駅

 
◆プラース・ディタリー駅~ダンフェール・ロシュロー駅

 
エッフェル塔に近い部分とはぜんぜん違った雰囲気で、それがまた面白い。短期の観光旅行ではなかなかできないパリの楽しみ方。

 

■ビル・アケム
 

ビル・アケム

 
まさにメトロ6番線が通るビル・アケム。エッフェル塔とセーヌ川の贅沢な景色が見えるのは、この幻想的な橋から。ここは何といっても『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の印象が強いのだけど、初めて見た時は息をのんだ。映画そのままの繊細な佇まいでありながら、画面で見るよりもはるかに強い、吸い込まれるような圧倒感。それこそ映画の中に入り込んだような、違う世界に来たような不思議な気分になる。
 

 
離れたところから全景を眺めてももちろん美しいのだけど、ここはやっぱり真っ直ぐ歩くのがベスト。エッフェル塔や凱旋門に比べると知名度は低いものの、個人的には絶対におすすめしたい場所の一つ。

 

■リュクサンブール公園
 

リュクサンブール公園

 
4年間で100回近く行ったんじゃないかというぐらいパリで一番よく訪れた場所。最初に通っていた語学学校パリカト(パリ・カトリック学院)に近く、1年目からすでに自分の「指定席」ベンチがあった。観光客も多いけれど、ルーブル美術館前のチュイルリー公園よりくつろいだ雰囲気で、いつ行ってもほっとする。歩いてみるとかなり広く、場所によって趣向や雰囲気が違っているのも面白い。
 

 
春夏秋冬すべての表情がそれぞれに趣深いのだけど、やっぱり緑の葉が一斉に太陽を浴びて輝く夏が印象的。

 

■セーヌ川沿い
 

セーヌ河畔

 
ここもパリらしさがあふれる場所の一つ。個人的には、川岸の遊歩道ではなく、上から水辺を見下ろしながら歩く方が好み。川にたくさん架かる橋はどれも個性的なデザインで、遠くから全体を眺めてみたり、たまには通ってみたり。橋の上から見渡す景色はまさに絵葉書そのもの。ため息が出るほど芸術的なその街並みを目にする度にパリにいることを強く実感し、幸せをかみしめると同時に、ここにずっといられたらと狂おしい思いを抱かずにはいられなかった。
 

 
ルーブル美術館に近い1区やオルセー美術館がある7区などの中心部はいつも観光客でいっぱいだし、実は大きな道路沿いだから車も多くて騒がしいのだけど、市庁舎があるこぢんまりとした4区、それもノートル・ダム大聖堂が立つ中州のシテ島、隣のサン・ルイ島辺りの川沿いはぐっと落ち着いた空気が流れていて、すごく気持ちいい。もっと東側の12区や13区まで行くと観光客も少なくなり、ガイドブックには載っていないパリの表情が見られる。
 

 
一度、エシャンジュ(言語交換)相手のパリジェンヌと13区から出発し、川沿いにエッフェル塔まで行って反対側の岸を11区まで帰ってきたことがある。かなりの距離を一周して4時間かかり、さすがに疲れたけれど、一歩進む度に少しずつ移り変わる景色と雰囲気を味わいながら歩くのは心躍る体験だった。

 

■建物
 

建物代表

 
学生のころ最初に訪れた時から、もっといえば初めてパリを映画の中で見た時から心をつかまれたのが、通りに立ち並ぶ均質な建物。ヨーロッパの都市によくあるようにカラフルな家が街を明るく彩るということはなく、直線的な煤けた白っぽい建物がどこまでも淡々と続く。このブログでもしつこいぐらい書いていて、建物の写真が異様に多いのだけど、一見、無機質なこの灰色のオスマニアン建築がやっぱり好きなのだ。ところどころにあるというのでなく、ずらりと並んでいるのがいい。そして、それによって形作られるパリはシンプルかつエレガント、個人的に「人生のテーマ」ともいえるぐらいの感性が表現された街並み。時々、ちょっと趣の違う色彩のある建物が点在しているバランスも絶妙。
 

 
そして、この簡素な建物群に沿って植えられた木がまた見事。これ以上の組み合わせは考えられないというぐらい、なんとも心地よい調和。この木を選んだセンスにまた脱帽。夏にはこれらの木が生き生きとした緑の葉を付け、建物にくっきりと影を落とす。それがまた独特の美しさを生み出していて、歩いている足が思わず止まり、見とれてしまうのだ。
 


 
罫線

 
最初の2年間の住所は郊外だったとはいえ市内からほんの少し出ただけで、結果4年間のほとんどをパリで過ごし、やっぱりここが自分にとって世界で一番美しい街だということを確信した。もちろん、世界中の街を知っているわけではないし、他にも好きな街はたくさんあるけれど、パリ以上に自分の感覚にぴたりとはまる場所はないと言い切れる。実際に住んでみれば、特に日本でのイメージのようにロマンチックな点ばかりではないし、受け入れられない部分も多々ある。帰国した今、やっぱり便利さや快適さでは日本にかなう場所はないと実感しているのも事実。

だけど、どこに行こうが不満がまったくないなんてことはあり得ないし、何を重視するかは人それぞれ。日本に生まれたからといって、日本で暮らし、日本人にとっての「一般的」な生き方をしなければいけないことはない。大切なのは、自分が満足できるかどうか。だから私は縛られない道を選んで自由にどこへでも行くし、自分の街だと思えるような場所を見つけ、そこで人生の一時期を過ごせたことは幸せだ。
 

罫線

 
さて、4年とちょっと前、出発と同時に始めたこのブログもこれでいったんおしまい。パリやフランスについてよっぽど書きたいことがあったり、万が一またパリに行くことになったりすれば気まぐれで更新するかもしれないけれど、しばらくはそんなこともないだろうから、無期限休止ということにしておこうかな。いくつか書き残したネタはあるのだけど、とりあえずこうやってきれいに(?)、そしてなんとか今年中に終わることができてほっとしている。何より、読んでくださったみなさんに感謝。

パリで暮らすという一番の夢をかなえてしまった今、これからの生き方を見つけるのはなかなか大変だけど、1年後の未来が想像できないって悪くない。冒険はまだまだ続く。

 
地球儀とスニーカー
 

4年間のパリ生活中に撮った写真をまとめました。1枚1枚じっくり見るならスマホ、画面いっぱいにパリの雰囲気を味わうならPCでどうぞ。ページトップのABOUTからもアクセスできます。
https://paris-tokorodokoro.tumblr.com

なお、重いので表示に時間がかかる場合があります。最後の1枚(最初の投稿)はこれです。

パレ・ロワイヤル

資格と実力

4年間のパリ生活で、それなりに上達したフランス語。とはいえ資格にはあまり興味がなく、自分なりに成果を実感できればいいと思っていたのだけど、やっぱり何かフランス語力を証明するものがあった方が後々有利なこともあるかもしれない。そこで、帰国後の11月にとりあえず仏検1級を受けてみた。もう一つの選択肢であるフランス語の国際共通テストDELF/DALFはこれ以上ないほど面倒な試験だし、ここはより気軽に受験できる日本人向けの仏検を選択。

2級はフランスへ出発する前に取得したのだけど、2級と1級の差はものすごく大きいということを今、実感している。昔は英語なら英検2級が一定水準と言われ、その水準には高校生で達したものの、そこから英語力はほとんど伸びていない。フランス語も同様で、2級に到達するまでももちろん大変ではあるのだけど、そこからの苦しみは想像をはるかに超えるレベル。仕事を辞めてフランス語の勉強に集中しなければ、きっと一生乗り越えられなかったと思う。

そうやって高くそびえる壁をよじ登ってきた努力は惜しくも実らず、この週末に出た1次試験の結果は不合格。筆記・聞き取り合わせて150点満点中90点(正答率60%)で、合格基準点95点にあと5点足りなかった。自己採点では、甘めにしたとはいえ104点だったのに、実際の点数が14点も低かったのは不本意だけど、明らかな単純ミスが少なくとも3つあり、それらを正解していれば合格だった。あと、記述式の解答もあるから、採点者によって1点ぐらいは左右されたかも。正直、まず大丈夫だろうという感触だったため少なからずショックを受けたのだけど、まあそれがテストというもので、たらればを言っても仕方がない。
 

騎乗した警察
パリでは馬でパトロールする警察官も

 
これは前にも書いたことがあるけれど、どんな分野であれ試験というものはどうしてもその試験だけに通用する特別なテクニックが要求され、そのテクニックを学ばなければいけないようなところがある。実力は足りなくても、テクニックを研究しておけば何とかなるという部分があるのは否定しきれない。それがバカバカしく、時間の無駄に思えてフランス語ではあえて試験を避けてきたのだけど、受けるとなればやっぱりそれなりに対策が必要。

それにしても、さすがは日本人仕様。仏検の出題形式を見ていると、なぜいつまで経っても日本人が外国語を克服できないのかが分かる。「実用フランス語技能検定」と銘打っている割に、内容はまったく実用的じゃない。後半の長文読解、仏作文はまあいいとして、問題は前半。動詞を名詞化して文章全体を書き換える、正しい前置詞を選ぶ、動詞を文章に合わせて適切な形に活用させる……。いや、確かにどれも大事なのだけど、1級といえば最も高いレベル。もはやそういう細部じゃないと思うのだ。一番分からないのは、時事用語を問う問題。これは1級のみに出題されるのだけど、問題集からいくつか抜き出してみると、

追徴課税 un(redressement)fiscal
常設仲裁裁判所 la cour permanente d’(arbitrage)
暗号通貨 une monnaie(cryptographique)
ヒトゲノム解析 le décryptage du(génome)humain

といった具合。いずれも()を埋めなければならない。まあ、「期日前投票」「憲法改正」「自爆テロ」「少子化対策」といった辺りは重要だし、個人的な興味からも知っておきたい言葉ではあるのだけど、日本語の会話でも使わないような用語を単独で知っていることに何の意味があるんだろうと思ってしまう。それを使って自分なりの文章が作れなければ何の役にも立たないし、過去には「ジェットコースター」なんていう楽しい出題もあるから、こうなってくると別にレベルも関係ない。2級の人がジェットコースターを語彙として知っていてもいいわけだし。準1級と差をつけるための設問かもしれないけれど、単に記号として知っていれば点がもらえるというこの形式、悪い意味でまったく日本人らしい。

ただ、出題側も疑問を感じているのか1問1点と配点は低く、全5問落としてもマイナス5点。私も問題集に載っているものと過去問や自分の単語帳から抜き出した分を合わせて50ぐらい覚えたのだけど、結局その中からは1つも出ず、5問のうち1問しか正解できなかった。その1問はテレビのニュースを見ているうちに自然に覚えたもので、本来こういう蓄積がどれだけあるかが問われているのかもしれないけれど。実際に出題されたものをここに書くことはできないのだけど、残り4問のうち特に変だと思った1問をフランス人の友達に教えたところ「フランス人にとってもちょっと妙な言葉だね」。まあとにかく、こういう使い方の分からない用語の暗記に時間を費やすことこそ無駄だと思うから、次にまた受けるとしてももう何もしたくない。

そういえば少し前に、日本の大学入試改革についての記事で、英単語のアクセントの位置を選ぶ問題がなくなるというのを読んだ。確かにあったな、そんな問題。個人的にはものすごく得意だったのだけど、よく考えてみればあんなのも実際に発音できなければほとんど無意味だ。
 

パンテオン前の撮影
5区パンテオン前での映画(?)撮影

 
そこへいくと、フランス語の国際テストは知識でなく、使えるかどうかを重視しているテストだと言える。仏検1級と同等とされるDALF C1を見てみると単純な文法問題などはなく、聞き取りであれ読解であれ深く内容を問う出題ばかり。作文に至っては、複数の記事を読んで共通のテーマを見つけ決められた単語数で要約、さらにそのテーマについての自分の意見をこれも決められた単語数で述べるというもの。つまり、フランス語を媒介して記事の要点を理解することと、自分の考えを論理的に表現することが求められるのだ。文法を正確に覚えることも大事だけど、多少動詞の活用や時制が間違っていても、本来はこういうことこそが上級レベルでできなければいけないことなんだと思う。ただし、DALF C1はこの作文だけで試験時間がなんと2時間半もあり、強制されなければとても受ける気にならないのが玉に瑕。

ちなみに、仏検1級の作文は短いエッセイのような3、4文のみで、普段フランス語の文章を書き慣れているなら15分もあればできる。それも、自分の意見を述べるのではなく、日本語ですでに書かれてある文章を機械的にフランス語に直す和文仏訳だから、これも“使える”フランス語力を測る手段として有効なのかどうかは疑わしい。
 

ミッテラン図書館前の橋
13区フランソワ・ミッテラン図書館に向かって

 
さて、あと5点のためにどんな対策をするのかだけど、これはもう語彙力を強化するしかないと思っている(時事用語以外)。というのも、何の予備知識もなく初めてやった模擬試験では正答率7割近く、さらにその後、合計4、5回分やった過去問でも安定して6~7割は取れていた。つまり、最低でも6割は正解できる力があって、そこから上積みできるかどうかはきっと知っている単語の量に左右されているのだ。本番のテストはそれまでで一番難しい印象だったのだけど、それは緊張によるものではなく、知らない単語の割合が過去問よりも多いからだった。

とはいえ、後半に3つある長文読解の単語はいつも知っているものがほとんどで、あまり引っかからずに読める。ただ、文章自体は読めても答えが全部分かるわけじゃない。そこは入試なんかの国語と同じで、例えば空欄に入る適切な一語や、筆者の考えに一番近いものを選べという問題があった時、似たような選択肢の中から正解に設定されている一つを選び出せるかどうかはほとんど運のようなもの。今回も見事にそれに引っかかり、悩んで捨てた選択肢がすべて正解だったし。だから、100%の正答率はあり得ないことを前提に、それ以外の部分を強化しなければいけない。また、本番でケアレスミスがあったのはすべて聞き取りパートで、見直す時間があまりないことを考えてももったいない間違い方ではあったのだけど、これもたぶん多かれ少なかれ100%なくすことはできないから、確実に取れるところを伸ばす必要がある。ちなみに、個人的に苦手な聞き取りはとても1級とは信じられないぐらいゆっくり、はっきり読んでくれるので、これも6割は堅い。

となるとやっぱり、重箱の隅をつつくような問題が並ぶ前半の正答率を上げるしかないということになる。本当に実用的なのは後半部分の読解や仏作文だと思うけれど、合格のためには個人的に不毛と思われる勉強も避けられない。こういうのが嫌なんだけど。

前半の大部分は時事用語を除いても語彙力の高さが正答率アップの鍵で、単語を知らなければそこまで。点の取りようがなく、本番でも今までで一番できなかった。ただ、準1級までならある程度出やすい単語というのはあるし、実際にそういう単語を集めた対策本も売っているのだけど、1級の単語の範囲は無制限。むしろ、フランス人でもあまり使わないようなマイナーな単語を知っている方が有利かもしれない。過去問と同じ問題が出ることもないようだし、自分で新聞や雑誌を読んだりして能動的に増やしていくしかない。といっても、すべての単語を覚えることは不可能だから、知っているものが出題されるかどうかはもはや運なのだけど、これはどんなテストであってもきっと同じ。だから、幸運に当たる確率を少しでも上げるため、日々の努力が欠かせないということなんだろう。
 

植物園
5区にある植物園での夏の一コマ

 
仏検がDALFに比べて気楽である一番大きな理由は、筆記に関しては時間がたっぷりあること。1問1問ゆっくり考えながらやっても、さらに間違えたら消しゴムで消して書き直さなければいけないことを含めても、かなり余裕がある。実際、本番でも30分見直す時間があり、おかげでマークシートのずれという恐ろしいミスも防ぐことができた。ただでさえ緊張するテストでゆっくりできると分かっていると、精神的な落ち着き度合いがぜんぜん違う。試しに一度、家でDALF C1の問題をやってみた時は、制限時間内で半分しか解けなかった。本番なら緊張も加わって3割ぐらいしかできないかもしれない。まあDALFの場合、正答率50%で合格なのだけど、締め切りに追われて焦るあの嫌な感覚は仕事の時だけで十分。

仏検は春と秋の年2回行われていて、本来ならば1級は春のみの1回らしいのだけど、今年はコロナの影響で春の試験が中止になり、秋に延期された1級をたまたまこのタイミングで受けることができた。4年間の成果を試す意味もあり、特に対策せず取得できるイメージで臨んだものの、この結果はなかなか微妙。採点がけっこう厳しいみたいだから、悔しいというよりは面倒くさい。個人的に“実力”部分と考えている読解と仏作文はできているし、もうほぼ合格でいいんじゃないのと勝手に思っている。再び挑戦するかどうかは悩むけれど、次回は来年6月、1級に限ればその次は再来年であることを考えると、やっぱり次で取っておきたいところ。
 

ハンバーガー
18区のビストロで日本人の友達とランチ

フランス人の不思議な行動

帰国して約2カ月半、日常の身近なところで日本の清潔さや便利さ、おもてなしの精神を再認識すると同時に、フランスとの文化や価値観の違いを日々実感している。元々、遠い国に行って知らない世界を発見することが好きだから、それなりに多様な文化も体験しているのだけど、先進国であっても、そしてどれだけ心惹かれる国であっても、やっぱり理解できないことはある。在仏中から日本人としては不思議に思っていたフランス人の行動を挙げてみよう。

 

■雨でも傘をささない

 
傘をささない

 
これは有名な話かもしれないけれど、本当にささない。天気予報から明らかに一日雨と分かっていて、しかもけっこう降っている日でも持っていない人が大多数。周りに聞いたところでは、単に傘を持ち歩くのが面倒だからという理由が多かったのだけど、個人的には面倒でも濡れない方を選ぶ。特に日本にいる時は、それなりにいい素材の靴を履きカバンを持って出かけるから絶対に濡らしたくなく、ほんの少しの雨でもすぐに傘を使うし、なければ買う。おかげで、家にはコンビニのビニール傘がたくさんあるのだけど、フランスではそもそも傘を売っているのさえあまり見かけない。パリでは秋から冬が終わるまで毎日どんよりした天気なので、現地のMUJI(無印)で買った折りたたみ傘を常にバッグに入れて持ち歩いていた。
 

傘をささない2

 
フランスは日本と違い、土足のまま家の中に入るから、傘をささなければ服だけでなく家も汚れることになると思うのだけど、そういう意識はないのだろうか……。

 

■赤信号でも気にしない

 
横断歩道

 
歩行者だけでなく、車も同じ。さすがに大きな道路ではおとなしく停車しているものの、小さな道だと赤信号でもお構いなく突っ込んでくる。その代わりというか、ドライバーは歩行者にはやさしくて必ず優先してはくれるのだけど、危ないのでぜひやめてほしい。

 

■電車の中で食事する

 
メトロ

 
最近はあまり見なくなったものの、たまにいる。それも、サンドイッチぐらいならまだいいのだけど、中にはにおいの強いものを持ち込む人もいて、一度、焼きトウモロコシを食べている人に当たった時は車両中が香ばしすぎる香りで満たされていた。パリのメトロは日本の電車より狭いし、まさか食べるなとも言えないのだけど、周りの人は特に気にしていないよう。

 

■寒くてもテラス席

 
カフェ3

 
太陽の下、食事やお茶を楽しむ人で賑わうオープンテラスは典型的なパリの景色。夏の間は、テラス席はいっぱいなのに店の中にはお客がゼロということも珍しくない。それぐらいテラス席が大好きなフランス人、灰色の空に覆われた冬でもやっぱり外がいいようで、寒い中、コートを着たままテラス席に落ち着き、コーヒー片手に思い思いの時間を過ごす人がたくさんいる。パリでは、どんなに小さなレストランやカフェでも、たとえ1席でも、必ずテラス席があるぐらいオープンテラスが根付いている。
 

シャロンヌ通り11

 
寒がりとしてはなぜわざわざ外を選ぶのか理解し難いのだけど、一度、冬に大きなカフェのテラス席を通り抜けた時、暖かい空気が流れていて驚いた。見上げると、テラス席を覆う屋根全体にヒーターが取り付けてある。なるほど、こういう仕組みになっているのかと納得したものの、これは環境によくないということで禁止される方向らしいから、冬のパリでテラス席の賑わいを見かけることは少なくなっていくのかもしれない。

 

■公園で水着になる

 
水着1

 
これもフランス人らしさ全開の、日本人には真似できない文化。ちょっと暑くなると、すぐに脱いで日焼けしたがる。しみ・くすみを嫌い、日差しを避ける日本人とは大違いなのだけど、住んでみてまあその気持ちも分からないでもないなと思った。何しろ、秋冬のパリは本当に毎日どんよりとした雲に覆われていて、日本のように寒くても空は真っ青という日がほとんどない。これだけ長い期間、太陽を見られないとなると、可能な時に少しでもその光を浴びたいと願うのは当然なのかも。
 

水着2

 
でも、あるフランス人によると、ビーチ以外で水着になるのは本来、禁止されているとのこと。

 

■女性の露出度が高い

 
軽装のパリジェンヌ1

 
まあこれも太陽を求める気持ちと根は同じなのかもしれないけれど、日本人の感覚からすると“はしたない”ほどの大胆さ。街を歩いている女性はもちろん、真面目にニュースや天気予報を伝えているテレビのキャスターでさえ、その胸元に思わず目が行ってしまうぐらいのはだけ・・・具合。
 

France2BFM TVのニュース映像より

 
肩から下着のひもが覗いているなんていうのは当たり前、キャミソール1枚だったり、背中が大きく開いていたり、ショートパンツやミニスカートで脚を出したりするのも普通。ただ、このブログでも何度か書いてきたけれど、こういう感覚については個人的に肯定的で、年齢や人の目なんて気にせず着たいものを着ればいいし、暑い時には涼しい格好をすればいいと思う。もちろん、社会常識の範囲内でということだけど。私もパリにいる時は透ける素材のブラウスをインナーなしで着ていて、なんだか解放された気分だった。

 

■外国人に道を聞く

 
線路沿い

 
自分の国にいるのに外国人に話しかけられたら逃げるという日本人からすればあり得ない発想だけど、見るからにアジア人の私にも、フランス人は普通に駅までの道を尋ねたり、映画館の前で何の映画を待っているのか聞いてきたりする(もちろんフランス語で)。実際、パリにいる間にこういうことは本当に何度もあって、なんでわざわざ私に聞くの!?と、とても不思議だった。そして、もっと謎なのは、こちらが聞き返してもゆっくりしゃべってくれないこと。速すぎて聞き取れないからもう一度言ってほしいと求めているんだし、それは相手も素振りで分かるはずなのに、同じ速さで繰り返すだけ。日本人ならこういう時、無意識にスピードを落とし、簡単な単語を選ぶように思うのだけど。

でも、これはパリに限らず、たぶんロンドンとかニューヨークとか移民が多く住んでいる都市ならどこも同じで、要するに外国人がいることが当たり前なのだ。だから、そもそも外国人という区別さえしないのだろうし、相手が言葉を話せないかもとは考えないんだろう。日本にも外国人が増えてきたとはいえ、こういう感覚が一般的になる日はまだ遠いような気がする。日本語を話せる外国人が日本語で話しかけているのに、相手の日本人が下手な英語で一生懸命返してきて苦笑したなんて話もけっこう聞くし。
 

罫線

 
他にもいろいろあるけれど最近だと、ウイルス感染が爆発的に広がっているのにマスクをしないだとか、外出制限をきちんと守らないだとか、挙句の果てには行動や営業の自由を求めるデモをやってしまうというような例も、日本とは異なるフランスの国民性をよく表していると思う。

日本から出てみると、当然ながら日本人とは違う考え方や価値観を持つ人たちがいて、個人的にはその違いを知り、体験することが面白いし、旅行であれ留学であれ仕事であれ、それこそが海外に出る醍醐味だと思う。もちろん、日本の方が優れているという視点で異文化を眺めるのではなく、あくまでも客観的に。そうすると、見習うべき点も、逆に見習ってほしい点も見えてくる。例えば、日本人の真面目さや几帳面さは世界に誇るべきものだけど、他人の目を気にし過ぎるところや従順過ぎる点、異質なものを排除しようとする傾向には個人的に疑問や苛立ちを感じる。反対に、自分の権利は自分で守るというフランス人の反抗精神や行動力には憧れるものの、行き過ぎた個人主義はどうかと思うし、他民族の信仰を愚弄するのも表現の自由の一つという考え方にはちょっと賛同できない。

ただ、「フランス人」「日本人」と一括りにしてしまうのも問題。フランス人が全員、ここに書いたことに当てはまるかと言えば、当然そんなことはないし。日本人もフランス人もそれぞれみんな違って、どんな人にもいいところがあれば悪いところもある。それは民族や人種や文化にも言えることで、絶対的に優れた存在なんてなく、自分たちとは異なるものの見方や考え方をする人がちょっと奇妙に思えるだけのこと。フランス人をはじめ日本の文化を好きだという外国人は多いし、私自身も日本や日本人の好きなところはたくさんあるけれど、別に日本のすべてが素晴らしいとは思っていないし、選ばれて“優秀な”日本人に生まれてきたわけでもない。

世の中には様々な国があり、様々な文化や価値観があって、優劣をつけられるものじゃない。そんな当たり前のことが多くの場所でだんだんと通じない世界になってきたのは、残念だし悔しいし歯痒くもある。とはいえ、スーパーで買い物してレジで商品を素早くきれいにカゴに詰めてもらう度に、フランス人も少しはこの日本人のサービス精神を見習ってほしいと思ってしまうのは避けられないのだけど。
 

罫線2

 
ついでに、「行動」ではないものの、不思議に思っていたフランス人に関する「現象」について。フランス人というと、女性なら「マリー」「ソフィー」「カトリーヌ」「ナタリー」、男性なら「ポール」「フィリップ」「ミシェル」「ピエール」など、同じ名前が異様に多いなとだいぶ前から思っていた。実は、割と最近の1993年まで子供につけられる名前が決められていて、その中から選択しなければいけなかったのだそう。この事実を知った時、なるほどそんな理由があったのかと深く納得。そんな状況だったから、同じ名前の人物を区別するため、フランス人は日本で言う下の名前を3つまで持てるとのこと。現在は基本的に好きなように命名できるようだけど、日本のようにキラキラネームも増えているという記事を少し前に読んだ。世代の違いなんかもあるのかもしれないけれど、自分たちのエゴで奇妙な名前を子供に与える親は、その人種や国籍にかかわらず“異文化”を持つ人たちに見えてしまうなあ。